【連載】「このごろ通信 対話と思索の演奏で」(毎日新聞 2019年7月8日付夕刊)

 4年に1度開催されるチャイコフスキー国際コンクールのピアノ部門で、弱冠20歳の藤田真央が溌刺(はつらつ)とした演奏で第2位に入賞した。2002年に上原彩子が日本人として初めて優勝してから17年が経過している。その間、上位入賞どころか、ファイナルに誰も進めなかったのだから、日本ピアノ界久々の快挙だろう。
 優勝はフランスのアレクサンドル・カントロフ。高名なバイオリン奏者ジャン・ジャック・カントロフの息子である。
 父カントロフで思い出すのは、カナダの鬼才、グレン・グールドのエピソード。1966年にカントロフがモントリオールのコンクールに出場した際、グールドは彼が4位にとどまったことに憤慨してこう書いた。
 「(もし自分が審査員だったら)カントロフは目をみはらせる才能の持ち主、同世代で聴いたことがあるバイオリン奏者のうちもっとも天才的な、独創性に恵まれた奏者、と判定したであろう」
 息子のアレクサンドルもまた、魅力的な音と柔軟な技巧、豊かな独創性に恵まれた天才だ。
 今回のチャイコフスキー・コンクールは稀にみる激戦で、7人の本選出場者の誰が優勝してもおかしくなかった。本選は、重量級の協奏曲をたてつづけに2曲弾くという過酷なもの。2曲のうち1曲は自由で、もう1曲はチャイコフスキーの1番か2番。誰もが甘美な旋律と派手な見せ場のある1番を選ぶ中、カントロフは2番を選択。前回の2位入賞者がただ一人選択し、「2番さえ弾かなければ優勝だった」と言われたほどの難曲で、しかも演奏時間が長い。
 しかるにカントロフは、もう1曲も地味なブラームスの2番を選択。華麗な技巧よりはオーケストラとの対話、哲学的で深い思索を前面に打ち出し、見事に優勝を勝ちとった。
 コンクールはともすると技巧優先になりがちだし、複数の審査員が採点するため当たり障りのない結果が出やすいものだが、カントロフが4位でなくて本当に良かった。

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