【連載】「このごろ通信 音と言葉をつなぐ難業 」(毎日新聞 2019年8月19日付夕刊)

 最近、一般大学の催しに出演することも多い。昨年は青山学院大文学部の比較芸術学会で、ピアノを弾きながら記念講演をさせていただいたし、名古屋外国語大でも、創立30周年記念事業の一環としてレクチャーコンサート。学外のお客さまもいらしてくださって楽しかった。
 今年春は立教大の公開セミナー「新訳でプルーストを読破する」でゲスト講師を務め、秋には立正大で開催される日本ボー学会の特別公演に出演する。
 立教大のテーマは、20世紀文学の金字塔として名高い「失われた時を求めて」。岩波文庫で全14巻のうち13巻まで刊行されている。なかなか読破できていないが、作中に登場する架空の作曲家に関するご依頼だったので、にわか勉強で臨んだ。
 主人公がくり返し語る「ヴァントゥイユのソナタ」。プルーストは巧みな比喩を総動員してこの作品を描写するのだが、音楽家たる私は、いっこうにイメージが湧かない。音楽の分析用語でもう少し具体的に説明してあればどんな曲かわかるのだが、一般読者には化学式のように感じられるだろう。この辺り、専門家ゆえの不自由さがある。
 ポー学会のテーマは、ドビュッシー未完のオペラ「アッシャー家の崩壊」。ポーの同名小説を題材にした作品だ。印象派の大家と不気味なボーでは真逆のように思われるかもしれないが、実はドビュッシーはポーの怪奇小説が大好きだった。
 1908年から死の前年まで10年をかけ、自ら翻案して台本を書き、音楽も半分くらいつけたところで力尽きた。アッシャー家の末喬(まつえい)ロデリックとマデリーヌ。妹は原因不明の病気に侵され、兄は妹の死とともに自分の命も奪われるのではないかという恐怖に日夜苛(さいな)まれている。ドビュッシーの書いた台本はロデリックの胸中にはいり込み、苦悩をまざまざと描き出すが、肝心の音楽が恐怖不足で物足りない。そもそも「印象派の大家」と言われるくらいだから、怪奇幻想は苦手なのだ。
 つくづく音と言葉のコラポレーションの難しさを実感する。

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