【連載】ドビュッシー「ボヘミア風舞曲」(なごみ 2018年2月号)

「ボヘミア風舞曲」は、印象派の巨匠クロード・ドビュッシーが18歳で書いた最初のピアノ曲である。有名な「月の光」のような、響きがゆらぐような作風とは違う。どこか遊園地のジンタを思わせるもの悲しい作品で、跳ねるようなリズムが特徴的だ。

この曲は、パリ音楽院の学生時代、夏休みのアルバイトでヨーロッパ各地を旅行している間に書かれた。

アルバイトといっても、未来の大作曲家ともなればさすがにスケールが違う。ロシアの巨匠チャイコフスキーのパトロンだったフォン・メック夫人の楽士で、夫人とともに巨匠の交響曲を連弾で弾いたり、楽士仲間と室内楽を演奏するのが仕事だった。

フォン・メック夫人はロシアの鉄道王の未亡人で、莫大な年金をチャイコフスキーに贈り、休暇のたびに家族と従者をひきつれて豪華な旅を楽しんでいた。ドビュッシーも、1880年7月、夫人の一行に合流している。

ドビュッシーの才能を愛したメック夫人は、チャイコフスキーに「ボヘミア風舞曲」を送り、助言を求めたが、評価は芳しくなかった。

「たいへんかわらしいものだが、実際どうにも短すぎます。深く堀りさげた想念があるではなし、形式に欠け、すべてが統一を欠いているのです」

もっともチャイコフスキーは、ドビュッシーが編曲した「白鳥の湖」をモスクワで出版しているから、まったく評価しなかったわけでもないのだろう。

メック夫人の楽士として多くのロシア音楽に接したことは、その後のドビュッシーに多くのものをもたらした。実は、ドビュッシー音楽に「ゆらぐような響き」が加わるのは、和音が拡がったり閉じたりするロシア聖歌を知ってからなのである。

ロシア体験がなければ、「月の光」も誕生しなかったにちがいない。

2018年1月23日 の記事一覧>>

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