クロード・ドビュッシーといえば、印象派の大家と言われている。たしかにメロディーとハーモニーの区別がない曖昧模糊とした響き、微妙な色彩のグラデーションは、モネの絵を思わせる。しかし、印象派の画家たちが基本的に戸外で写生し、移ろいゆく景色を素早くキャンパスに描きとめようとしたのに対して、ドビュッシーの作曲には、いつも”記憶”や”想像力”が重要な役割を果たしていた。
彼自身、自身の作曲方法について、自然の物音に耳をすませていると、それが記憶の底にとどめられ、ある日突然、音楽言語として噴出する、というような書き方をしている。ドビュッシーの音楽が単なる自然描写にとどまらないことは、1910年に書かれたピアノのための『前奏曲集第1巻』を見てもわかるだろう。
第1曲「デルフィの舞い姫たち」は、古代ギリシャのアポロの神殿に仕える巫女たちの荘重な踊りを模している。第5曲「アナカプリの丘」は、青の洞窟で知られるカプリ島の町の教会から聞こえてくる鐘の音で始まり、激しいタランデラ、物憂いナポリ民謡が次々とくり出される。グラナダのアルバイシン地区から漏れ聞こえるギターの音で開始する第9曲「途絶えたセレナーデ」では、フラメンコの踊り手が激しく足を踏み鳴らし、情熱的な歌を歌う。
まるで音による観光案内のような曲集なのだが、ドビュッシーはそれらの地に一度も足を踏み入れたことがなかった。第10曲「沈める寺」はブルダーニュの町イスにまつわる伝説なのだが、パリからさほど遠くないサンミシェル島すら訪れていない。
ワーグナーの楽劇『トリスタンとイゾルデ』のイゾルデが生まれたイスの町は大変栄えた都だったが、悪魔の企みによって一夜にして海の底に沈んでしまった。今も海辺にたたずむと教会の鐘の音と僧侶の読経の声がきこえてくるという。幼いころにこの伝説を読み、とりわけ海の上に教会がせりだしてくるシーンに深い感銘を受けたドビュッシーは、晩年近くになってその記憶を見事な音楽として再現してみせたのである。
第4曲「音と香りは夕暮れの大気に漂う」は、象徴派の詩人ボードレールの「夕べの階調」にヒントを得た作品。聴覚、視覚、嗅覚…五感のすべてが渾然一体となるさまを芸術の根源としたドビュッシーは、目に見えない、言語化もできない「言うにいわれぬもの」の音楽化をめざした。
ドビュッシーの音楽が曖昧模糊としているのは、彼が「ものごとの半分まで言ってあとは聞き手の想像力にまかせる」という考え方をしていたからだ。『前奏曲第1巻』の各タイトルも、曲の冒頭ではなく、遠慮がちに最後に記されている。聞き手は、ドビュッシーの音楽に触発され、それぞれの体験にもとづく想像の旅を楽しむことができるだろう。