【連載】ウェーバー 「舞踏への勧誘」(なごみ 2018年10月号)

ウィンナ・ワルツの雛形になった
ウェーバー「舞踏への勧誘」

 誰でも知っている「美しき青きドナゥ」。ヨハン・シュトラウス二世が書いた代表的なウィンナ・ワルツだ。
 ドナウ河のさざなみを思わせるイントロについで、浮き浮きするような軽快なもの、哀愁を帯びたゆったりしたものなど、五つのワルツが途切れることなくくり出される。最後はコーダ(結尾)で華やかにしめくくる。
 こんなふうに、序奏で始まり、コーダで終わるウィンナ・ワルツの形式を確立させたのは、意外にもシュトラウス二世のお父さんの一世でも、「ワルツの父」ヨーゼフ・ランナーでもなく、ドイツ人のウェーバーだった。
 一八十三年から、ウィーンの姉妹都市プラハで歌劇場の音楽監督をつとめていたウェーバーは、人々が楽しそうにダンスを踊るさまを音楽で描写しようと思い立った。その名も「舞踏への勧誘」というピアノ曲は、「美しき青きドナウ」の四十年前、一八一九年に書かれ、妻のカロリーネに捧げられた。
 曲は、男性がお目当ての女性に手をさしのべるような音楽で始まる。あらどうしましょうと躊躇(ちゅうちょ)する女性。男性は重ねて誘い、なごやかに会話をかわす。やがて音楽は勇壮なワルツに変わり、二人はくるくると旋回する。つづくワルツは軽やかなステップ、流れるようなスロー・ワルツの部分もあり、聞く者を飽きさせない。めくるめくクライマックスのあと、序奏の音楽がもどってきて、男女は挨拶をかわす。
 それまでのワルツは、バラバラな小さなワルツをつないだもので、「ワルツのくさり」と呼ばれていた。しかしウェーバーは、関連性をもたせたワルツを次々にくり出す手法を打ち出し、ランナーやシュトラウス一世らウィーンの関係者に大きな影響を与えた。
 「舞踏への勧誘」がなかったら「美しき青きドナウ」も生まれていなかったにちがいない。

カール・ウェーバー(1786〜1826)
ドイツの作曲家。中世・近世の説話や伝説を題材に、ドイツ国民歌劇・ロマン派オペラを創始。華麗奔放な作風でサロン音楽の祖となった。代表作に「魔弾の射手」など。

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