【特集】没後100年 クロード・ドビュッシーとフランス音楽(レコード芸術2018年10月号)

ドビュッシーの想像劇『オルフェ王』

 ドビュッシーは『ペレアスとメリザンド』1曲しかオペラを書いていないが、劇音楽の試みは多く、筆者が数えたところ53点もあった(アンドレ・シェフネルはそれを「ドビュッシーの想像劇」と呼んでいた)。
 1980~92年の『ロドリーグとシメーヌ』のようにほぼ完成形で楽譜が発見されたものもあるが、大半は1音符も書いていない。それでいて、台本作者には頻繁に改訂を迫るというのがドビュッシーの困った癖だった。
 精神科医にして劇作家のヴィクトール・セガレンとの間で計画された『オルフェ王』のケースも同様だったが、ひとつ違うのは、脚本のやりとりでドビッュシー宅を訪問したセガレンが、対話を詳細に書き留めておいたことだ。この対話録は、アニー・ジョリ・セガレンとアンドレ・シェフネルの手によってまとめられ、往復書簡もまじえて1961年に『セガレンとドビュッシー』として出版された。ドビュッシー自身、「あなたは、私が『音楽』について話し、さらには、私自身についても話すことのできる数少ない相手の一人です」と打ち明けているように、作曲家の考えを知る貴重な資料となっている。
 セガレンが初めてドビュッシーに会ったのは1906年4月である。その前年、パリで『ペレアスとメリザンド』の上演に接して深い感銘を受け、自分の台本にも音楽をつけてもらえないだろうかと考えた。
 1878年にブレストに生まれ、精神医学を学んだセガレンは、1903年にタヒチの哨戒艇デュランス号の船医に任命される。以降セガレンは、船が停泊するたびに、ゴーギャン、ランボーなど停泊地ゆかりの芸術家に関する資料を集め、創作・評論に役立てていた。
 4月24日、ゴンクール賞の売り込みで旧知の作家ユイスマンスを訪れたセガレンが、秘書にドビュッシーを紹介してくれないかと頼んだところ、「他の後ろ楯」がなくても会ってくれるだろうと言われた。セガレンはさっそく16区の一軒家に住むドビュッシーのもとを訪れている。
 この折にセガレンが提案した『シッダルータ』は、1904年9月、デュランス号がセイロンに停泊している間に構想を練った戯曲である。しかし、ドビュッシーが反応したのは、「メルキュール・ド・フランス」1907年8月16日号に発表された中編小説『鳴り響く世界の中で』の方だった。
 掲載誌を読んだドビュッシーは、8月26日付けの手紙で「まったく未開拓の分野における、きわめて優れたものです」と絶賛し、作中のオルフェ伝説に関する挿話をもとにオペラの台本を書かないかともちかけた。セガレンが狂喜したことは言つまでもない。
 『鳴り響く世界の中で』がドビュッシーを惹きつけた理由はいくつか思いあたる。この作品のプロットは、彼が1908年から死の前年まで取り組むことになる未完のオペラ「アッシャー家の崩壊」に少し似ていた。
 物語は、「パプア人の感覚器官に関するデータ」研究のためにマレー諸島に出かけていたルレーという人物が、帰国後、ボルドーの人里離れた館で隠遁生活を送っている友人アンドレを訪ねるところからはじまる。
 ルレーを迎えた妻のマチルドは、夫について「あの人は狂っているのです」と言う。
 ルレーは、アンドレが引きこもっている部屋に案内される。奇妙な物体が壁に張りめぐらされ、あらゆる音が共鳴し、幾重にもエコーを増幅させ、壁に乱反射する。かすかなささやき声でも異常に反響させ、炎のゆらめきによってハーモニーを生み出す。今日の電子音響音楽をも思わせる装置を備えた部屋は、まさに「鳴り響く世界」だった。
 ルレーと再会したアンドレは、妻のほうこそ狂人だと告げる。暗闇で暮らすアンドレとは反対に、マチルドは日の光がなければ生きられず、暗闇では音を聴くことができなくなるのだ。妻が「毎日少しずつ逃げ去っていくようだ」と感じたアンドレは、ギリシャ神話のオルフェウス伝説に思いをはせる。死んだ妻を追って黄泉の国に降りていく音楽神だ。 ルレーに「オルフェウスとは君なのか?」ときかれたアンドレは次のように答える。
 「オルフェウスは僕じゃない。(中略)それは、常に変化するわが人類の中で、聞く欲望であり、聞かれる欲望、響きの中で生き、創造する力なのさ。それは、視覚によって作られ、触覚によって鍛えられたわれわれの太古の感覚の粗雑で足手まといな条件の外にわれわれが抜け出すことを、見事に象徴している・…・」(木下誠訳)。
 ここで語られるのは、あらゆる感覚に対する聴覚の優位性、かつては視覚よりより優勢であった一連の属性、「オルフェウス的な力」を取り戻そうというマニフェストだった。
 常日頃から、「言つに言われぬもの」を表現する上で、あらゆる芸術に対する音楽の優位性を説いていたドビュッシーにとって、我が意を得たりというセリフだったことだろう。
 「鳴り響く世界の中で」を読んだ18日後、ドビュッシーはデュラン宛の手紙で、「私は最近ますます、音楽とは厳格な形式の中で展開されるものではな《色彩と律動する時間でできていると思うようになりました」と書いている。セガレンの「鳴り響く世界」は、彼にとって理想の在り方のひとつだったにちがいない。
 1907年10月8日、自宅を訪問したセガレンにドビュッシーはこう語りかける。「すばらしい素材です。試みるのは困難ですが、実際にやってみる価値のあるものです[…]。そこには、私が音楽でやりたいことが……それ以上の何かが……はっきりと見えます。これは私の音楽の「遺言」となるでしょう……」
 残念ながら、こうした意欲にもかかわらず、『オルフェ王』が音楽化されることはなかった。セガレンのテキストにドビュッシーが訂正を書き込んだ原稿はパリ国立図書館に所蔵されているが、楽譜の痕跡はない。1908年以降のドビュッシーはボーにもとつく『アッシャー家の崩壊』の作曲に没頭し、セガレンもまた、職業柄、長期の出張が多かった。1910年6月の「コメディア」誌に「ドビュッシー氏は『オルフェウス』を制作中」という記事が出たものの、1913年には台本単独での出版が許可されている。
 1916年6月5日、セガレンから『オルフェ王』第3稿のコピーを送られたドビュッシーは、心を動かされずにはいられなかった。「鉛筆を手に、私だちが長い議論をし、そして、私がもっと長い沈黙をしていた姿が思い浮かびます。(中略)劇に伴うはずだった音楽について言うと、私はそれが次第に聞こえなくなってきています。何よりもまず、オルフェウスに歌を歌わせることができません。なぜなら、彼自身が歌なのですから」
 同じ手紙でドビュッシーは、「相変わらず私は腸内に細菌叢を養い続けています」と告白している。前年暮れに直腸癌と診断され、手術を受けたものの予後が悪く、苦しい放射線治療のさなかだった。
 セガレンがドビュッシーの死を知ったのは、実際の死の3日後、1918年3月28日である。
 セガレン自身もそれから長くは生きていなかった。同年末に体調を崩し、入退院をくり返していたセガレンは、1919年5月21日、療養先のブルターニュ地方の森の中で死亡しているのを発見された。行年41歳。

CD付書籍
『ドビュッシーのおもちゃ箱』
青柳いづみこ/沼部信一著 学研プラス本体2500円+税
おもちゃ箱の人形たちがくりひろげる恋の物語。ドビュッシーが愛したメルヘンの世界を音と言葉で描き出す。本書のために新しく録音されたCD付き[バレエ音楽《おもちゃ箱》青柳いづみこ(p)森尾舞(ナレーション)]。

ONTOMOMOOK.
『ドビュッシーピアノ曲の秘密』DVD付
監修 青柳いづみこ
音楽之友社編 予価本体2000円+税
ドビュッシーのピアノ曲への理解を深めるために,作曲家の魅力にアプローチする1冊。多彩な記事に加え,全ピアノ曲を紹介。付録DVDではドビュッシーのピアノ曲をおしゃれに弾きこなすための技法を監修者がレクチャー。

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