「素顔のハイドシェック」(ムジカノーヴァ 2005年9月号)

2005年6月、フランスのピアニスト、エリック・ハイドシェックが来日し、各地で協奏曲を演奏したり、レクチャー・コンサートを開いたりした。

ハイドシェックというと、必ず経歴の最初にシャンパン王シャルル・エドシック家に生まれる、と書いてある。わー、シャンパン、高級そう、お金持ちそう、となる。でも、現在はシャンパン・メーカーは人手にわたり、ハイドシェックはパリ九区の、とても感じのいい、でも庶民的なカルチエに住んでいる。移動手段はBMW・・・ではなくて自転車。

ハイドシェックと親しくつきあうようになってから、もうかれこれ十年前ほどになる。編集部にいただいたお題は「素顔のハイドシェック」だけれど、ハイドシェックぐらい表面をとりつくろわないピアニストも珍しいだろう。協奏曲がうまくいかなかったときなど、客席に挨拶もしないで出て行ってしまったこともあるそうだ。あとで私服に着替えて出てきてアンコールを弾いたが、あわてたのか、背広のボタンをかけ違えていたり。

24日は大阪のフェスティヴァル・ホールでベートーヴェン『皇帝』をスロヴァキア・フィルと協演した。舞台を見ると、ピアノのところだけ妙に暗い。晩年のリヒテルがホールの照明をすべて消し、スタンドの明かりだけで演奏した話は有名だが、ハイドシェックも正面からの光を嫌い、いろいろ試したあと全部ライトを落としてしまったとか。オケには煌々と光が当たっているのに、ソリストが闇に沈んでいるという前代未聞の『皇帝』になった。それでも、彼の弾くピアノのタッチのひとつひとつが、なんとダイヤモンドのようにきらめいていたことよ。

27日は東京文化会館小ホールのレクチャー・コンサートで、私がナビゲーターを務めた。最初は単に通訳を頼まれたのだが、ハイドシェックが私とのコラボレーションにしたいと猛烈に主張してくれたおかげで、曲目案も含めた企画をともに立てることになった。

「規律の中の自由」というキャッチは、フランスの雑誌『ピアノ・マガジン』のハイドシェック特集号から取った。ハイドシェックは、6歳からコルトーの薫陶を受け、パリ音楽院卒業後もコルトーに師事している。『ピアノ・マガジン』の巻頭には、「海は月のリズムに忠実に満干をくり返す。大きな空間の中では自由だが、時間的には厳格な規則に従う。音楽も同じようにしなければならない。これは、コルトーが私に教えてくれたことだ」というハイドシェックの言葉が掲げられている。

ルバートはプラスマイナスゼロで、リズムの柱と柱の間では自由に飛翔するが、必ず元に戻ってくる。大きくテンポをゆらしながら全体の統一をとる極意は、コルトーからハイドシェックに受けつがれたものだ。

レクチャー・コンサートの最初に弾かれたのは、ベートーヴェンの『ソナタ第12番』の第1、第2楽章。プログラムの冒頭にはヘンデルの組曲が置かれていたのだが、打ち合わせのときに突然、この順番にしたいと言ってきた。ハイドシェックといえども、しゃべったあとでベートーヴェンのソナタは弾きたくなかったようだ。

『ソナタ第12番』はコルトーにレッスンしてもらった思い出の曲だそうで、第1楽章のテンポは8分の3なので皆が弾くより速く、逆に第2楽章スケルツォは慣例より遅く弾くように指導されたという。傑作だったのは、コルトーのレッスンに関連して弾きはじめた『ソナタ作品90』。第1楽章をあまりセンチメンタルに弾いてはいけないと言われたと話す。何故なら、このソナタはベートーヴェンがリヒノフスキー侯爵に献呈した曲で、当時侯爵はある女性に求婚するかどうか迷っていた。だから、「生きるべきか死すべきか」のハムレットみたいに、逡巡する気持ちを出さなけれはならないとのこと。

ついで話題は、モーツァルト『ピアノ協奏曲ハ短調』に移った。この協奏曲は、パリ音楽院の卒業試験の課題曲で、のちにコロンヌ管弦楽団と協演することになり、19歳のハイドシェックは自分でカデンツァを書いたのである。オケの主題やソロの主題、第2主題などをどのように組み合わせたか、構造を実際にピアノで示してくれる。モーツァルトにしては長く重いカデンツァだが、トゥッティで巻き起こされた内面の嵐を鎮めるためには必要な長さだ、と説明する。

やはりモーツァルトの『2台ピアノのための協奏曲』のカデンツァは、アルジェリア独立戦争で従軍したときに作曲し、休暇中に出会った夫人のタニアに捧げられている。ここでまた突然、「今日は、我々の45回目の結婚記念日に当たる」と言い出したので、会場は「おめでとう!」の拍手に包まれた。気をよくしたハイドシェックは、自分で作曲したという『ハッピーバースデー』の曲を弾いてくれた。こんな楽しいハプニングの連続で、客席はすっかりハイドシェックの自在な魅力の虜になってしまったようだ。

後半はフォーレの『夜想曲第11番』で始まった。転調だらけの上にくり返しが多く、暗譜がむずかしいことで知られるフォーレ。ハイドシェックは頭の中で楽譜をめくりながら弾いていたというが、しみじみとして味わい深い演奏だった。実は、ハイドシェックは、後半の曲目をまったくリハーサルしていないのだ! 3時にホール入りし、ベートーヴェンとモーツァルトのカデンツァを通して弾き、フォトセッションの間に自作の『マルセイエーズによるパラフレーズ』から「ラフマニノフ風 火炎放射器」を弾いたあとは、ずっと楽屋で休んでいた。筋肉に負担をかけないようにとの配慮もあるだろうが、もともとテキストはすっかり頭にはいっているのだ。

つづくドビュッシーの前奏曲も、すっかり順番を入れ換えて弾く。第2巻の「枯れ葉」ではじめ、第1巻の「デルフの舞姫たち」を弾き、「帆」「ヒースの茂る草むら」とつづく。打ち合わせのとき、「さっき練習していたら、『枯れ葉』の最後の和音のE#(=F)音が『デルフ』の最初の和音のF音と共通していることに気づいた。『デルフ』はいつも最初に弾かれるので座りが悪いが、『枯れ葉』のあとに弾くととても新鮮に聞こえる」と言い出したのだ。あらためてこの人はコンポーザー・ピアニストなのだと思い知らされた。

私はドビュッシーの専門家だから一字一句気むずかしいのだが、この夜のドビュッシーは本当にすばらしかった。ハーモニー進行、音色の弾きわけ、ほの暗いインスピレーション、大胆だが自然なテンポ設定。普段は同じ板の上で他のピアニストを聴く機会などない私は、ときおりピアノから伝わってくる振動を感じながら、演奏に聞き入っていた。

専門家がそばにいると弾きにくいというピアニストがいるが、自分はむしろ反対だ、とハイドシェックは言う。自分が楽器とテキストに施すさまざまな工夫は、専門家が一番よくわかるはずだ。努力のあとを享受し、評価してもらえるのはとても嬉しいことだ、と。

翌日は、横浜のみなとみらいホールで、夫人のタニアとのバッハやモーツァルト『二台ピアノのための協奏曲』を聴いた。タニア夫人の生演奏を聴くのははじめてだが、透明感があって切れがよく、とてもステキなピアノだ。音色も歌い方もご主人とはまるで違うのに、ルバートやメロディ・メーキングなどスタイルは統一していて、しかも(結婚45周年というから少なくとも60歳以上だと思うのに)二人とも暗譜で弾いている! 背中をまるめて何やらうなりながら弾くエリックと、背筋をすっとのばし、ひじをポーンとはねあげてさっそうと弾くタニアとのやりとりが、まるでオペラの二重唱のように聞こえた。

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