ポリーニ追悼(2024年4月1日付 読売新聞朝刊文化欄) 

ポリーニの死は3月23日夜、在仏の日本人評論家のSNSで知った。それから続々と訃報が流れはじめたが、20世紀音楽の専門家たちがいち早く反応しているのが興味深かった。

「現代音楽」が「クラシック」とは異なるカテゴリーに組み込まれていた1970年代、ショパン国際ピアノ・コンクールに優勝したポリーニが、現代作曲家のシュトックハウゼンやノーノの実験的な作品を盛んに演奏したのは画期的だった。

2002年に東京で開催された全9回の「ポリーニ・プロジェクト」は、1599年のマドリガーレ(世俗合唱曲)から1999年のベリオの「アルトラ・ヴォーチェ」まで、400年の時を隔てた作品を「人間の声」で結ぶ壮大な計画で、クラシック界の常識を打ち破った功績は大きい。

ポリーニといえば、71年のストラヴィンスキーの「ペトルーシュカからの3楽章」、72年のショパンの「練習曲集」で「完全無欠のピアニスト」を印象づけた。いっぽうで、長くお蔵入りになっていた60年収録の「練習曲集」(2011年リリース)を聴くと、「完全無欠」がレコード会社の作戦のひとつだったような気もしてくる。

当時のピアノ界では何をおいても「弾ける」ことが大切だった。60年のショパン・コンクールで審査員の一人、ルービンシュタインが「我々の中で誰ひとり、彼のように弾けるピアニストはいない」と語ったのは象徴的である。

ポリーニの演奏は「完璧すぎて感動しない」と囁かれることもあったが、1つ1つの音がよく歌い、熱してくると大きく揺れる音楽をやる場面に何度も遭遇したものだ。

「音の建築家」

技術偏重の傾向に国内で一石を投じたのは87年、ポーランドのメイピアニスト、ホルショフスキの95歳での初来日だった。19世紀ロマンティシズムの香り高い演奏に、聴き手は「完璧」とは違う価値観を見いだした。

ポリーニ自身、かなり早い時期から技術の衰えが目立つようになったが、私が彼の演奏でとりわけ評価するのは、すぐれた構築性である。

あるリサイタルで、ポリーニの弾くシェーンベルクやシューマンがひとつの立方体となってホールの空間に立ちのぼる様が見える、という不思議な体験をした。調整音楽でも無調音楽でも、和声的な書法でもポリフォニックな書法でも、作品をその骨格においてとらえ、時間軸をも考慮に入れつつ寸分の狂いもなく組み立ててみせる。

ポリーニは、「完全無欠な音の建築家」だったといえよう。

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