「ヴィンテージピアニストの魅力 終わりに」(音遊人 2022年冬号)

十年前に開始した本連載も今回で終止符を打つ。
第一回にアリス•アデールという、 日本ではほぼ知られていないピアニ ーストを取り上げたことからもわかるように、コンセプトはアンチ•コンクールだった。

コンクールは、自分も子供のころ から受けていたし、ショパン•コンクールを取材した著作もある。若い演奏家がデビューするために必要な関門だとは思うが、いっぽうで弊害も強く感じてきた。

留学していたころ、年度はじめに国債コンクール計画をたてているピアニストの話をきいたことがある。ヨーロッパ各地のコンクールにつういて、課題曲が重なっていて使いまわしがきくもの、移動しながら受けられるものを抽出し、年間のリストをつくるのである。

コンクールには審査員がいて、顔ぶれによって傾向も変わる。審査員室を支配するような強烈なキャラクターの好み次第で決まってしまうこともある。

コンクールに入賞しなければキャリアがつくれず、キャリアがなければ演奏依頼もこないのだからプロになるためには必要不可欠なのだが、少し違和感をおぼえた。

自分が信ずる音楽があるとして、それがコンクールの傾向に合わないときは主義主張まで変えるのだろうか。成功するためには仕方ないのかもしれないが、もし成功してしまったら、少なくとも直後はその方向で活動をつづけなければならない。迷いが出ないだろうか……。そんなことも考えた。

興味深い例はアンドレ・ラプラントだろう。ミハイル・プレトニョフが優勝したときのチャイコフスキー・ピアノコンクールの第二位で、コロンビア・レコードの専属となり、来日も果たした。しかし、ロシア音楽を前面に出したプログラムを求められることを嫌い、契約終了を申し出て故郷のカナダでひっそりと演奏活動をつづける。

彼が再発見されるきっかけは、門下生でショパン・コンクール第二位のシャルル=リシャール・アムランだった。彼がかくも称賛する師匠に興味をいだいたエージェントが招聘してみたところ、本当にすばらしかったのだ。

柳川守もパリ音楽院を最高の成績で卒業後、共演したカラヤンのすすめでイギリスのコロンビアでレコーディングしたものの、リプレイを聴いて「まだ納得がいかない」と取り下げてしまい、帰国後は地道な活動をつづけている。色彩豊かな演奏は健在で、二〇二二年十一月には、九十歳にして長野と東京でリサイタルを開く。

ヴィンテージ・ピアニストには、大器晩成型が多い。アルド・チッコリーにはロン=ディボー・コンクルールの優勝者だが、「化けた」のは七十五歳から。メナヘム・プレスラーは長くボザール・トリオで活躍し、ソロ活動を始めたのは解散後。九十歳にしてベルリンフィルと初共演している。

ラフマニノフとホフマンに師事したルース・スレンチェンスカは八十歳で引退したものの、岡山在住所の愛好家によってアルバムをリリースしつづけ、九十三歳でサントリー大ホールの舞台に立ち、九十七歳でデッカから新録音を出している。
彼ら、彼女たちに共通するのは、自分の音楽に対する確固たる信念、作曲家への畏敬の念である。
そのようなゆるぎない演奏人生に敬意を表しつつ、愛読してくださって皆さまに、深く感謝申しあげます。

※本連載は二〇二二年九月、アルテスパブリッシングより単行本として刊行されました。

2022年11月27日 の記事一覧>>

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