いま、知っておくべき“新常識” 近年の研究に基づくショパンノ演奏の傾向(ムジカノーヴァ2024年5月号)

その奏法、古いかも? 様式感の”新常識”
いま、知っておくべき”新常識” 近年の研究に基づくショパンの演奏の傾向

文 青柳いづみこ

コチャルスキが弾く左右の手の“ずれ”

ラウール・コチャルスキ(1885-1948)の弾くショパンを知ったのは、色々なピアニストの同じ作品の演奏を集めたアルバムを聴いていたときだった。《エチュード》作品25-7。8分音符のきざみに乗って、チェロとヴァイオリンを模した旋律が甘美な二重奏を奏でる(譜例1)。

1928年、つまり第1回ショパン国際ピアノコンクールの翌年にベルリンで録音されたコチャルスキの演奏は、きざみがメトロノームのようで、上下のメロディーはそれぞれ思うままに歌う。いきおい、左右の手が違う小節を弾いているのではないかと思うほどずれている。

何しろ子どものころから、左右はずらしてはいけません、と習ってきたので最初のうちは違和感があったが、ずれているのに統一感があり、あるところでどの線もきれいにおさまるので、次第に惹きつけられていった。

2010年6月、日本ショパン協会のフェスティバルで、チェンバロ奏者の水永牧子さんをゲストに「ショパンとバロックの伝統」というテーマでレクチャーをおこなったことがある。水永さんとご一緒にこの録音を聴いたところ、水永さんが「我々の世界の理想的なルバート」とおっしゃって、比較するためにチェンバロでバッハ《イタリア協奏曲》の第2楽章を弾いてくださった(譜例2)。

やはり、左手のきざみは正確に、右手は自由に歌って……。ルバートにもバロックとロマンティックの2種類あることを知ったのはこのときだった。

ロマンティクなルバートの場合、左手の伴奏はメロディーに応じて伸び縮みする。しかし、バロックの場合は左右が独立している。

エーゲルディンゲル『弟子から見たショパン』(音楽之友社)は、ショパンはどのように弾き、どのように教えたか、ということを同時代の音楽家や弟子たちの証言から明らかにした画期的な書だが、ルバートについても詳しく触れられている。

ロマン派とは異なるショパンの演奏スタイル

コチャルスキの師匠でショパンの弟子のカロル・ミクリ(1819-97)は以下のように証言している。

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テンポを保っことにかけては、ショパンは頑固一徹であった。メトロノームをいっもピアノの上に置いてあったと言えば、驚かれる人も多いことと思う。あれほど中傷されたテンポ・ルバートにしても、伴奏部を弾くほうの手で正確なテンポを保ちながら、メロディーを歌うほうのもう一方の手で、拍子に捉われない真の音楽的表現を目指すのであった。漠として言い淀んだり、熱を帯びて活気を取り戻したりしながら、自分の話に熱中している人のようにその手は雄弁に物語る。
 (前掲書 P. 76)

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「中傷されたテンポ・ルバート」というくだりが気になるが、ショパンが生きていたのはロマン派の時代であり、当時の演奏スタイルと食い違っていたものと推察される。
『弟子から見たショパン』に、著者による詳しい説明がある。

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テンポ・ルバート、つまり盗まれたテンポ。この言葉はトージ(1653/54-1732、ボローニャ生まれの、ベルカント唱法の理論家)の理論書 Opinioni de’cantori antichi e moderni(1723年)に初めて出てくるが、その音楽上の実態は少なくともイタリア・ルネッサンス期の人文主義者たちの間での、初期の単声歌を伴奏する試みにまでさかのぼるものである。(中略)ルバートは独奏部の流れと低音部の流れとの対位法から生じること、縦の線で言えば、この2つの部分に時々拍子の不一致ができると特徴が現れるのである。どこでどう用いるかは、歌い手の好みによる適度な使用に委ねられることになる。これこそが情緒説の理論に基づいて、適切な装飾音を即興する技術に結びついた、イタリア・バロック音楽のベルカント唱法の伝統そのものなのである。
(前掲書 P. 172-173)

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一般的にベルカントというとロマン派と思われがちだが、実際には18世紀イタリア・バロックの装飾的な歌唱法で、ショパンは同世代のヴェルディなど、ドラマティックなベルカントの動向には懐疑的だった。
ロッシーニとべッリーニを愛したショパンは、1831年にパリに出てきたとき、イタリア座に通いつめ、ジュディッタ・パスタやマリア・マリブランの歌唱に聴きほれた。ノクターンなどにみられるベルカントの装飾法をピアノに移した即興的挿句についても、ショパンのスタイルはロマン派の演奏習慣とは異なっていた。『弟子から見たショパン』に引用されたヤン・クレチヌスキは次のように伝える。

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このようなパッセージは速度を落とさずに、そのパッセージの終わりに向けてむしろaccelerandoに弾くべきなのだ。(中略)はじめはゆっくり弾き始めて終わりに向かってスピードを上げるべきパッセージの例を、ここにいくつか挙げておこう。(中略)ショパンはアラベスクや挿入楽句をこんなふうに理解していたために、時代の趨勢とは異質な存在であった。
 (前掲書 P. 81-82)

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この例として、《ノクターン》作品9-2などを挙げている(譜例3)。こんにちでも、ショパンのヴァリアントは語尾にいくほどテンポを落として締めくくるのが普通だろう。

限られた名手のみ可能な左右の手の独立

クレチヌスキはショパンのルバート指示についても次のような証言をしている。

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左手の伴奏には正確なテンポを保ち、歌のほうはテンポを変えながら伸び伸びと弾きなさい、ということだった。これはけっして難しいことではない。両手はどちらかが速くなったり遅くなったりして、ちぐはぐな動きを示しても、互いに補い合うことで全体としてのまとまりが生じてくるのである。

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ドビュッシーのピアノの師で、ドラクロワが描いたショパンの肖像を譲り受けたマルモンテルも彼の演奏について、「両手が微妙に動き完全に独立している」と表現している。
 ここで連想するのは、モーツァルトの手紙である。1777年10月、母親と演奏旅行に出たモーツァルトは、故郷の父親に宛てて「ぼくが終始タクトを正確に守っていること、その点にだれもかれも感心します」「アダージョのテンポ・ルバートで、左手はそれと全然関係がないということを、あの人たちはまったく飲みこめず、左手が引きずられてしまいます」と書いている。
 クレチヌスキは「けっして難しいことではない」と言っているが、モーツァルトの言葉からも窺われるように、左右の手の独立はきわめてレヴェルの高い技術で、限られた名手にしか実現不可能なのだ。ショパンに可愛がられた歌姫ポーリーヌ・ヴィアルドから「テンポ・ルバートの秘密」を伝授されたサン=サーンスもその困難さについて力説している。

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ヴィァルド夫人が(中略)、テンポ・ルバートの秘密をわたしに伝授してくれた。(中略)伴奏部には一糸乱れぬ正確さが要求されるけれど、メロディーのほうは緩急自在に気ままに漂って、速めたり遅らせたりしながら、遅かれ早かれ伴奏部と合わせるというのだ。このような演奏は非常に難しく、両手を完全に独立させて使えなくてはならない。
 (前掲書 P. 76)

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ショパンは実際に、たとえば《エチュード》作品25-2などで、左右の手の独立をうながしている。右手は8分音符の三連符、左手は4分音符の三連符で、左右の律動が異なるが、独立ができていないと、右手が2分割されてしまう(譜例4)。

サン=サーンスはさらに、左右の独立ができない悪い例について語る。

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そこまでできないと、メロディーを正確な拍子で弾きながら伴奏のテンポをちぐはぐにしたりしてごまかし、これがルバート奏法だと自他ともに錯覚することになりかねない。さもなければ--最悪の場合には--両手で交互にずらして弾くだけで事足れりとするわけだ。それくらいならいっそ、両手をいっしょに演奏して、きちんと拍子を保っほうがずっとましというものである。
 (前掲書 P. 76)

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様々なケースがみられるショパンのルバート

「ロマンティックなルバート」の場合、伴奏形ものびちぢみするため、まずバスが入り、メロディーの第1音、ついで伴奏の第2音……と少しずつタイミングがずれていくうちに、「両手で交互にずらして弾く」ように聞こえることがある。エーゲルディンゲルは「両手で交互に弾く」例として、レシェティツキ、パハマン、パデレフスキ、フリードマンを挙げている。

ショパン・コンクールの審査員もつとめるポーランドのパレチニ教授は左右をずらすことを厳しく諫め、「パデレフスキみたいに弾くな」と指導するというが、これはこのタイプのルバートのことを指しているのだろう。やはりショパン・コンクールの審査員をつとめるディーナ・ヨッフェ教授にインタビューしたときも、「上下をずらすルバート」については懐疑的で、「ダダンダダン」は嫌いだと言っていた。

「両手で交互に弾く」ルバートは、両手を完全に独立させ、左手は正確なリズムを刻んで右手だけ自由に歌うことから生まれるずれとは根本的に違うのだが、誤解されることが多いようだ。コチャルスキの演奏も、低音とメロディーがずれるという現象から「ロマン派の悪しき慣習」と混同されることも多かったときく。

しかしまた、同時代人の証言から窺われるショパンのルバートには、様々なケースがあることも事実のようだ。
リストは、「あの樹々を御覧なさい。葉むれが風にざわめき、波打っているけれど、幹は動かないでしょう。これがショパンのルバートですよ」という有名な言葉を残した。

1892年、7歳のときから4年間にわたってミクリの英才教育を受けたコチャルスキも、師から伝えられたこの言葉を忠実に守って修行に励んだわけだが、クレチヌスキは、リストの言葉を引用しながら、「ショパンの作品には葉がそよぐどころか、幹までも大揺れに揺れるところもある」とつけ加え、例として《ノクターン》変イ長調作品32-2の中間部(第27-50小節)などを挙げている(譜例5)。

ロシアの外交官で、ショパンとリストにレッスンを受けるという幸運に恵まれたレンツも、ショパンの2種類のルバートについて次のような証言を残している。

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ルバート奏法では、総体としてのリズムは常に一貫して重視されねばならない。私は彼が、「左手は協(教)会の聖歌隊の指揮者なのですから、妥協や譲歩は許されません。柱時計だと思ってください。右手は好きなように、できることは何でもやってかまいません」と言っているのを何度も耳にした。またこうも言っていた:「ある曲が仮に5分間かかるものとしますね。その場合に、この曲が最後まで演奏されて、きっかり5分で終わらなければならないにしても、細部(曲の演奏の途中の)では、いかようにも自分で調節が効くはずです。これがルバートというものなのです」。
(前掲書 P. 77)

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ここで思い出すのは、コルトーに師事したフランスのピアニスト、エリック・ハイドシェックの言葉である。彼は音楽のテンポを海にたとえる。大波、小波が打ち寄せても、水そのものの容量は変わらない。

エーゲルディンゲルは、レンツの回想を「ショパンのルバートが2つの異なる様式--しかも互いに矛盾しない--を併せ持つことを主張している唯一のもの」と評価し、例えば《ワルツ》作品64-2に指示されているテンポ変化(Tempo giusto→Più mosso→Più lento→Più mosso、TempoⅠ→Più mosso)を広義のルバートと解釈している(前掲書 P. 175)。

エーゲルディンゲル自身、ショパンが用いたと思われる2つのタイプのルバートについて論じながら、これだけでは同時代人の証言から窺われる「ショパンの演奏に感じられる変幻自在なアゴーギグの説明がつかない」と書いている。
 
天才の演奏が理論だけで解析されるとはとても思えないが、少なくともショパン自身の演奏は左右がずれていた可能性があること、それは悪く解釈されたロマンティックなルバートのように「両手で交互にずらして弾く」スタイルとはまったく意味が違うことは認識しておく必要があろう。

様々なケースがみられるショパンのルバート

ワルシャワで開かれるショパン・コンクールでも、ルバートはしばしば議論の対象になる。2010年のコンクールで第5位に入賞したフランソワ・デュモンは、妻がベルカントのオペラ歌手で、ショパンがヒントを得た歌唱法と装飾法に精通しているが、筆者のインタビューに応じた際に、審査員が彼の工夫を充分に評価しなかったと不満を漏らしていた。

筆者が取材した2015年のコンクールでは、ゲオルギス・オソキンスの左右をずらすルバートについて、台湾の音楽評論家ユアン・プーが異議申し立てをしていた。バロック風のルバートの場合、バスが先に出るべきところ、オソキンスはメロディーが先に出るのでスタイルに則っていないという。ユアン・プーは例として往年のベルカントの歌手たちの録音をいくつも聴かせてくれた。

2018年や2023年に開催されたピリオド楽器のためのショパン・コンクールになると、価値観が逆転し
古楽器系の勉強をしてきた奏者にとっては、左右をずらすほうがむしろ一般的になる。2018年のコンクールで第2位を獲得した川口成彦は、2023年の何人かのコンテスタントの演奏を聞き、画一的に「ずらす」ことへの警鐘を鳴らしていた。

バロックのルバートであろうと、ロマンティックなルバートであろうと、木の葉がそよぐだけのルバートであろうと、幹まで揺れるルバートであろうと、大海原のようなルバートであろうと、確たる美意識に則って真の感情の裏付けができていれば、違和感なく聴くことができるだろう。すべては弾き手の趣味良識に委ねられることになるが、指導する側も先入観を廃し、歴史的証言をも視野に置いてアドバイスしたいものだ。

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弟子から見たショパン 増補最新版
そのピアノ教育法と演奏美学

ジャン=ジャック・エーゲルディンゲル著/米谷治郎、中島弘二訳
音楽之友社、2020年刊行 税込定価 6,380円

直接の弟子の証言を中心に、楽譜、書簡集などから豊富な資料を掲載。まるでレッスンを受けているように「ショパンの真の意図」を浮き彫りにする。

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