天から二物(日経新聞 2022年2月27日付)

 ピアニストの山田剛史さんにお会いしたのは、東京都内で開かれた日本バッハコンクール全国大会の審査でご一緒した折だった。審査員長をつとめる先生が、「このかたは、あの灘高から芸大に行かれたのですよ」と紹介してくださった。
 1982年生まれの山田さんは、幼いころからピアノを習っており、灘高時代にも学生音楽コンクールで優勝している。勉強か音楽かで悩んだ末、前期日程は東京芸大ピアノ科、後期日程は東大理科一類で願書を出したという。
 芸大の大学院修士課程修了後は、ドイツのケルン音大に留学。東京音楽コンクールで第1位及び聴衆賞を獲得して演奏活動に入る。バロックから現代まで幅広いレパートリーで注目を集め、数々の音楽祭のも出演している。
 まさに天から二物を与えられたような方なのだが、そんな山田さんが、ピアノ界では「高学歴」が必ずしもポジティヴに作用せず、極力封印していると語っていらしたので驚いた。
 灘高時代にピアノの講習会を受講しはじめたころは色眼鏡で見られことも多く、出身校をプロフィルに載せるのはやはり躊躇われるという。
 しかし、近年では、開成高校から東大の大学院まで進んだ角野隼斗さんがショパン国際ピアノコンクールのセミファイナリストとなり、現役医大生沢田蒼梧さんも2次予選まで進出し、「高学歴」に対するイメージが大きく変わっているように感じるらしい。

 私は1950年生まれで、出身校は芸大付属。芸大に入ったのは安田講堂事件の年で、東大入試はなかった。仕方なく(?)灘高から芸大ピアノ科にきた同級生はいたが、当時は「高学歴」はマイノリティだった。
 何しろ、私が学んだころの芸大附属高校は音楽科目重視で学科は午前中だけ。山田さんのように数III、数Cはおろか数Iも半分しか終えていない。芸大の入試も国語、算数(数学とはとても言えない)、社会の3科目だけで、実技優先だから3枚合わせて百点とればよいとささやかれていた(その後、共通一次、センター試験が導入されるようになり、この傾向は改善された、はず)
 入学当初は違和感があったが、その中にはいると勉強なんかいらない、音楽が第一と言う空気になじんでしまうから不思議なものだ(当時は、頭脳明晰すぎると芸術的な演奏ができない、等々、知性と音楽性は相反するものととらえられていた)。
 芸大卒業後、大学院修士課程を経てフランス留学。帰国後、しばらくはピアニストとして活動していたが、恩師安川加壽子先生の勧めて、創設されて間もない鍵盤楽器の博士課程を受験。
 入試にはピアノ演奏と論文審査がある。先に述べたような理由で勉強は中学どまりだったし、昔の修理論文はリポート程度で良かったから学問的なそようは皆無。辞書の引き方すら知らず、音楽研究に携わる楽理科の先生に呆れられたものだ。
 受験じたいも「演奏家に博士号なんているの?」「屁理屈をこねすぎると演奏がつまらなくなる」などの声があった。現在では博士課程を持つ音大も多く、「研究」や「論文」は珍しくないけれど。

 この傾向はおそらく日本に特化したことだろう。ヨーロッパでは、ドイツのホホシューレもフランスのコンセルヴァトワールも各種学校で、勉学をおさめたい人は別途大学に行く。難易度の高い国際コンクールに挑戦しつつ数学や哲学を学ぶピアニストはたくさんいる。
 アメリカのジュリアード音楽院にもコロンビア大学などとの提携制度があるときく。2015年のショパンコンクールで第5位を得たイーケ・トニー・ヤンは逆に、ハーバード大学に入学し、提携プログラムを利用してニューイングランド音楽院で研鑽を積んだ。
 日本にも例がないわけではない。音楽評論家の藤田晴子さんは戦前の毎日音楽コンクール(現日本音楽コンクール)ピアノ部門で優勝したのち東京帝国大学法学部に入学。女子第1期生だった。医師ピアニストの上杉春雄さんも、北海道大学医学部在学中に国際コンクールで入賞し、医療の現場で働きながら演奏活動をつづけている。
 最近では、医師免許をもつヴァイオリニストの石上真由子さんが日本コロムビアからデビューして話題を呼んだ。18年のピリオド楽器のためのショパン・コンクールで2位を得た川口成彦さんのように、芸大の楽理科出身の演奏家も活躍している。
 天から二物を与えられた音楽家が色眼鏡で見られることなく、存分に進化を発揮できる時代の到来が嬉しい。

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