新国立劇場 ヴェルディ「マクベス」公演プログラム(2004年5月)

男の野望、女の野望

元ユーゴスラヴィア(現セルビア=モンテネグロ)共和国大統領ミロシェヴィッチの夫人ミリャナ・マルコヴィッチは、「ベオグラードのマクベス夫人」と呼ばれた。『独裁者の妻たち』の著者ヴィントガッセンは、「彼女の権勢欲がなければ、スロボダン・ミロシェヴィッチはごくふつうの地方幹部で終わって、バルカンでもっとも強力な独裁者の一人にまで上りつめることはけっしてなかったであろう」(渡辺一男訳)と書いている。

当時のベオグラード市長は、「ミロシェヴィッチは女房の言いなりだ。一日に九回もミリャナに電話をかける。しかも幼児語を使って話すから、実に滑稽だ」と回想している。大統領は二〇〇〇年の選挙で失脚したが、その直前、ミリャナは集会で「わたしたちは殺戮のさなかに権力の座に就いた。流血なくして立ち去りはしない」と威嚇したという。

マクベスもまた、妻がいなかったら地方領主で終わっていただろう。魔女たちに、「コーダーの領主、未来のスコットランド国王」と祝福されたマクベスは、そのことを妻への手紙に書く。魔女たちが消えたとたん王の使いが来て、コーダー領主に任命されたことを知らされる。とすれば、もうひとつの予言も成就する可能性があるではないか・・・。

マクベス夫人は、夫の性格を知り尽くしている。野心家ではあるが、善人すぎる。出世したいとは思っているが、手を汚してまで地位を得たいとは思わないだろう。自分が夫の心に火をつけてやろう。王冠を得るために立ち上がらなくては。このあたりは、夫のキャリアアップに野心を託し、闘争心を満足させる独裁者の妻たちと何らかわりはない。

夫人がカヴァティーナ「さあ、来なさい! 急いで!」を歌っていると、召使が、マクベスが王を連れて城に帰ってくる、と告げる。夫人はチャンス到来とばかり、コロラトゥーラを駆使してカバレッタ「目覚めなさい、地獄の使者たちよ」を歌う。

マクベスとの会話は、原作とオペラでは微妙に違う。「王はいつ発つのか?」と聞く夫人に、マクベスは「明日」と答える。「明日、太陽が顔を出すことはないでしょう」と夫人。このあと、オペラのマクベス夫人は腹芸に終始し、どういう意味かとマクベスがきくと、「おわかりになりません?」と返す。ここで暗黙のうちに暗殺が決定する。

原作のマクベス夫人はもっと高圧的だ。あなたは気持ちが顔に出すぎる、ポーカーフェイスでいろとさとす。「暗い顔色は恐れている証拠ですよ。私に任せておきなさい」

やがて歓迎の宴会が始まるが、マクベスは席を抜け出し、「やるべきか、やらざるべきか」などとハムレットみたいなせりふをつぶやく。「おれには野望の脇腹を蹴り立てる拍車はない、あるのは鞍に飛び乗ろうとする野心だけ」

夫人は、その拍車の役目を果たす。今のところはコーダー領主で満足しておこうかと言うマクベスに、けりを入れる。臆病者め、あの計画をうちあけたあなたは、いったいどこに行ったのか──。ところで、計画をそそのかしたのは夫人の方なのだが、勿論そんなことはおくびにも出さない。彼女が使う殺し文句は、「男らしい」「勇気」など。誰だって「女々しい」「いくじなし」と言われたくないから、マクベスはあとにひけなくなってしまう。このあたりは、オペラの台本からははぶかれている。

予言で示された野望に対して、男は夢ばかり見てなかなか実行に移そうとせず、女は男の夢に乗って具体的な手はずを整える。従者の酒の中に睡眠薬を入れて眠らせよう。王を暗殺し、罪は従者になすりつければいい。犯行のプロットは自分が作り、それを夫に実行させるあたりが、ミロシェヴィッチ大統領夫人とそっくりだ。

夫は殺人を済ませるが、ヘマばかりしている。二人の王子たちには逃げられる。刺した短剣を持ってきてしまう。マクベス夫人は夫のかわりに部屋に行き、現場を工作する。ノックの音にもとびあがる臆病な夫に「ほんの少し水があれば血もきれいになってしまう。あなたの度胸はどこへ行ったのか」とたしなめる。寝ていたように装うために、寝間着に着替えるようアドバイスし、「ぼんやり考えこまないで」と叱咤激烈する。

最初の殺人は夫人にそそのかされたものだが、第二の殺人は、マクベス自身の発案だ。魔女のもうひとつの予言、子孫が王になるだろうと言われたバンクォーのことが気になって仕方がない。

このバンクォーの処理の方法で、オペラと原作では大きな違いがある。原作では、マクベスは自分で判断して暗殺者を仕向け、夫人には黙っている。「恐るべき重大事が起こるだろう」とほのめかすだけだ。夫人が問いただすと、「かわいいお前は知らぬままで入るがよい。あとでほめてもらおう」と言う。しかし、オペラのマクベスは、「また別の人間の血を流さねばならない、妻よ!」と呼びかけ、夫人は、邪魔者はすべて消すという決心をこめて、アリア「天のランプが、空の永遠の流れの上を沈むように」を歌う。

首尾よく殺人は果たしたが、マクベスの目には、宴会でバンクォーの幽霊が見える。幽霊の見えない夫人はわけがわからず、突然とりみだした夫に困惑する。ここでも、オペラと原作ではせりふの方向が違う。オペラのマクベス夫人は、自分もバンクォー殺しに同意しているので、死人は蘇らないのだからジタバタするな、と夫をたしなめる。

原作のマクベス夫人は反対だ。マクダフ殺しまで考えはじめ、「まず実行だ、くよくよ思いわずらうのは男の恥だ」と、妻が乗り移ったようなせりふをしゃべる夫に、とにかくぐっすり眠るようにアドバイスする。マクベスは、再び魔女たちの予言をききに行く。

マクベスが戦地に赴いたあと、夫の野望から取り残された夫人は、精神錯乱に陥ってしまう。夜になると夢遊病者となって城をうろつき、どんなに洗っても手についた血のしみが消えない、アラビア中の香料をふりかけてもいやな臭いが消えない、とつぶやく。

オペラのマクベスは、魔女の予言を夫人に話す。「マクダフの妻と子どもたちを皆殺しにする」と叫ぶマクベスに、夫人も「バンクォーの息子を見つけ出して殺してやる!」と応酬し、二人は珍しく意見が一致する。夫人は、夫がかつての勇気を取り戻したことを喜び、「今や、死と復讐のこと以外・・・他のことは考えられない」と二重唱を歌う。

原作では、マクベスは夫人を置いてどんどん破滅へとつっ走ってしまうので、そのあとの夫人の夢遊病シーンがしっくりつながるが、オペラのマクベス夫人は、夫と力強いマニフェストを歌ったあと突然夢遊病になり、アリア「ここに、まだしみがある・・・」を歌うので、台本的には違和感が残る。しかしまた、この四幕二場こそ、女の哀れさ、弱さを映し出し、オペラ中最も感動を呼ぶシーンであることは間違いない。

オペラにせよ、原作にせよ、ともに上昇カーヴを描いてきた男の野望と女の野望が、ある時点を境にすれ違ってしまうのがよくわかるだろう。女にたきつけられ、お膳立てされて得た権力の座だが、いったん手に入れるとさらに上をめざしたくなる。末代までの栄誉が欲しくなる。側近の誰も信用できなくなる。男の野望は一人歩きをはじめ、女の野望はむしろバランスをとろうとする方向に向かう。

夫より先に死んでしまうマクベス夫人に比べると、実在のミロシェヴィッチ夫人ははるかにたくましい。二〇〇一年、元大統領は逮捕されてハーグの戦犯法廷に引き出され、ボスニアでの大量虐殺と戦争犯罪の件で起訴された。オーガナイザー兼マネージャー役の「マクベス夫人」は罪に問われず、声高に夫の無罪を主張しているときく。

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