宮澤賢治「貝の火」
宮沢賢治の童話では、「貝の火」が一番好きだった。
鈴蘭の葉や花がしゃりんしゃりん音を立てる野原。子ウサギのホモイは、川で溺れかけたヒバリの子を助けてやったお礼に、不思議な玉をもらう。それはとちの実ほどの円い玉で、中では赤い火がちらちら燃えている。
これは貝の火という宝珠だ、とヒバリの母親は言う。持っている人の手入れと心がけ次第では、どんなにでも立派になるのだ。
「玉は赤や黄の焔をあげてせわしくせわしく燃えているように見えますが、実はやはり冷たく美しく澄んでいるのです。目にあてて空にすかして見ると、もう焔は無く、天の川が綺麗にすきとおっています」
貝の火のイメージ源はオパールだという。よほど出来のいいオパールに違いない!
この童話で怖いのは、ホモイの心がけが悪ければ悪いほど──途中までは──貝の火がますます美しく光るというところである。
動物たちにペコペコされてすっかり偉い人のつもりになったホモイは、母親の手伝いで鈴蘭の実を集めるのが嫌になり、モグラをおどかしたり、リスに集めさせたりする。
父親は、鈴蘭の青い実をどっさり持って帰ったホモイを叱る。しかし、おそるおそる貝の火を見ると、玉は前よりもさらに赤く、さらに速く燃えさかっているのだった。
次の日、ホモイが野原に出ると、実をとられた鈴蘭はもう前のようにしゃりんしゃりん鳴らなかった。妖しい玉と清楚な鈴蘭がうまい対比をなしているが、実は鈴蘭はアルカロイド系の毒を含んでいる。ホモイ一家は、鈴蘭の実を食べて大丈夫だったのだろうか。
吉屋信子『花物語』の一篇にも鈴蘭が出てくる。女学校の講堂に置かれた古いピアノ。放課後は音楽の教師が鍵をかけ、鍵を持って家に帰る。ところが、夕方になると無人の講堂でピアノの音が響きわたる。幽霊か?
講堂に忍び込んだ教師の耳に、「水晶の玉を珊瑚の欄干から振り落とすような」ゆかしい楽の音が聞こえてくる。月光に夢のように浮かび出たのは、異国の少女だった。
次の日、ピアノの上に鈴蘭の花束が置かれ、鍵が結びつけられていた。ピアノはイタリア人宣教師の持ち物で、亡くなったあと女学校に寄贈されたのだ。弾いていたのはその娘。鍵を持っていたわけである。
少女が弾いたのは、どんな曲だったのだろう? S・スミスに、その名も『すずらん』という曲がある。華やかなイントロを持つマズルカ。楽しげにはずむパッセージを弾いていると、鈴蘭の匂いで満たされたホモイの野原がよみがえってくるようだ。