【連載】「作曲家をめぐる〈愛のかたち〉第7回」(新日本フィルハーモニー交響楽団 2004年5月号)

プログラムエッセイ

法悦の愛

「法悦」という言葉は、なかなかに両義的である。辞書をひくと、「仏の道を聴いて起こるこの上ない喜び。転じて一般に、うっとりするような喜び。エクスタシー」と書かれている。仏の道ときいて連想される形而上的なものから、エクスタシーで連想される形而下的なものへの転位が起きている。

エクスタシーにもまた、二重の意味がある。神学用語では入神した忘我の境地をさすのだが、転じて性的恍惚にも使われる。たとえば、ドビュッシーの歌曲集『忘れられた小唄』の第一曲の原題は「レクスタス・ラングルーズ」。愛を交わした(詩人がヴェルレーヌでお相手はランボーだから、男同士の)あとのけだるい陶酔というような意味だが、邦題では「そはやるせなき夢心地」と美しくまとめられている。

やはりドビュッシーの神秘劇『聖セバスチャンの殉教』には、宗教的恍惚が満ち満ちている。とりわけ、月桂樹にしばりつけられたセバスチャンが、次々と放たれる矢を身体に受けながら、「もっと! もっと!」と叫ぶ殉教のシーン。三島由紀夫ならずとも、セバスチャンの感じている強烈なエクスタシーを追体験せずにはいられない。

キリスト教が、処女マリアに懐胎させるなど性的なものを罪悪とみなしたために、信仰の精神とエロティシズムの精神が遊離してしまったが、もともと双方の現象はきわめて似ている。コリン・ウィルソンは『音楽の進化──エロスに寄せて』(サントリー音楽叢書)の中で、ヒンズー教のラーマクリシナの法悦体験を例にとっている。

「絶望にうちひしがれ刀を手に自殺しようとしたとき、『神なる母が顕現して』彼は法悦にひたったという。彼はこの法悦感を、”煌めく光の海”に漂いその波にもう少しで呑み込まれるような感じだったと表現している」(宮本陽一郎訳)

ウィルソンによれば、その「光の波」を実際に音にしたのがワーグナーだった。
「『トリスタンとイゾルデ』は海原で始まり、そしてトリスタンは海辺で息をひきとる。これは決して偶然ではない。波のうねるようなリズムがこのオペラを支配しているし、愛の音楽と”イゾルデの愛の死”のクライマックスは、ラーマクリシナの法悦の波に呑み込まれるような体験を連想させる」(同前)

ロシア旧歴の1871年12月25日、つまりイエス・キリストと同じ日に生まれたスクリャービンには、そのものズバリ『法悦の詩』という交響曲がある。フランス語の原題は「ポエム・ド・レクスタス(エクスタシーの詩)」。ブラヴァツキー夫人の神智学に深く影響されたスクリャービンがめざしたのは神と性の合一だから、この場合のエクスタシーは、宗教的解脱と性的恍惚がないまぜになっていると考えてよい。

スクリャービンの作品は「次第に高揚して法悦に至る」構成を持つものが多いが、『法悦の詩』のスコアを見ても、「気高く甘美な威厳をもって」「つねに陶酔感を高めて」「ほとんど錯乱状態のごとくに」「魅せられて」「恍惚として」・・・などと記され、漸次的にトランス状態にはいっていく様子が手にとるようにわかる。

フランス二十世紀の作曲家メシアンもまた、宗教的恍惚と官能の愛を見事にドッキングさせた作曲家である。我がピアノの師ピエール・バルビゼは、「彼は十字をきりながらマスターベーションしているようだ」と評したが、言い得て妙というべきだろう。

敬虔なカトリック信者だったメシアンは、自ら「神学の虹」と名づけた独特の音響世界を生み出したが、その手ざわりは肉感的で生々しい。ピアノ曲『みどり児イエスに注ぐ24のまなざし』など、聖母や聖霊、天使たちのまなざしに神の主題や星と十字架の主題などが組み合わされ、題材はどこまでも宗教的なのだが、不思議な恍惚感をともなう和声進行、鳥たちのさえずり、激しい連打など、フェロモンたっぷりの音楽だ。

オーケストラにピアノとオンド・マルトノを加えてさらに極彩色の官能をくりひろげるのが、『トゥランガリラー交響曲』。第六曲で、恋人たちが愛の眠りに落ちている庭園は、いっぽうが「トリスタン」、いっぽうが「イゾルデ」と呼ばれている。小鳥たちが色鮮やかな声を交わすこの庭園は、ワーグナー『パルジファル』のクリングゾルの花園をも連想させる。
メシアンといえば、『鳥のカタログ』に代表されるように、鳥の啼き声を採譜して作品に取り込んだことで知られる。ここで私は、1913年、スクリャービンがある人物のインタビューに答えて語った言葉を思い出してしまう。

「動物は、セックスにおける愛撫に相当する。この愛撫はいかなる種類のものだろうか。たとえば鳥は、崇高な愛撫である。私は鳥がはばたき、舞い上がるのを見る時、いつも私自身の心の動きとまさに同じだ、と感ずる」(佐野光司訳)

スクリャービンとメシアンは、音と色彩の照応という点でも共通している。第五交響曲『プロメテウス・火の詩』で、ある音を出すとそれに対応する色の光を発する”色光オルガン”を考案したスクリャービンは、ブラヴァツキーの「ヴァイブレーション」の理論に沿って、12の音と12の色彩の対応を試みている。ところでメシアンも、ある音を聴くと特定の色が頭に浮かび、音楽を聴くと「音の複合体に相応する色彩の複合体が内的に見える」共感覚の持ち主だったという。

メシアンが生まれた1908年12月10日は、スクリャービンの『法悦の詩』がニューヨークで初演された日でもある。そのころからスクリャービンの庇護者になり、『プロメテウス』を初演した指揮者のクーゼヴィツキーは、1945年、メシアンに『トゥーランガリラー交響曲』の作曲を依頼している。ここまで来ると、とても偶然の一致とは思えない。

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