【連載】「作曲家をめぐる〈愛のかたち〉第4回」(新日本フィルハーモニー交響楽団 2004年1月号)

プログラムエッセイ

ワルツの〈愛〉

ワルツ王ヨハン・シュトラウスの伝記作者フランツ・エンドラーは、「ワルツはまだその名前が確定していなかった時期から、すでにひじょうにエネルギッシュで、官能的で、人を刺激し、興奮させる踊りだった」(喜多尾道冬・新井裕訳)と書いている。

それまでのあらゆるダンスと違い、一組の男女がぴったりと抱き合って踊る。密着からくる性的興奮。跳躍による浮遊感。激しい旋回によるめまい。1572年、ベルギーでは輪舞の踊り手に罰金刑が課せられ、1595年にはドレスデンで法律によって禁止されたという。

ワルツという言葉が使われるようになるのは、それから二世紀たった18世紀中ごろである。辞典の編纂者が残したメモには、次のような定義がみられる。

「ヴァルツェン(ダンス・ア・ラ・アルマンド)とドイッチュ踊りの一種にして、とくに田舎踊りと呼ばれる。踊り手たちはたえず跳び跳ね、旋回する」

ゲーテ『若きウェルテルの悩み』(1774)の主人公が田舎の舞踏会でロッテ嬢と踊るのも、このダンスである。前は小説を読むのが大好きだったが、今はダンスに熱狂していると打ち明けるロッテ。ウェルテルは、黒目がちの瞳やいきいきした唇、あざやかな頬に見とれていた。

フランス風のメヌエット、イギリス風のコントルダンス・・・とつづけて踊ったあと、ロッテはウェルテルに、本当はドイツ風の踊りが踊りたくてたまらない、あなたはきっとワルツが得意でしょう、と申し入れる。

「しばらくのあいだ、二人は腕をさまざまに組みあわせて楽しんだ。ロッテの身ごなしの、なんと軽く、なんと人を魅了するものだったろう!」(竹山道雄訳)

やがてワルツの音楽がはじまり、二人はさながら星のようにくるくると旋回した。

「こんなにかるがると身の動いたことはなかった」と、ウェルテルは手紙に書く。
「私はもう人間ではなくなった。これほども愛らしい娘を腕に抱いて、ともどもに稲妻のように駆けるまわっている。あたり一切のものが姿を没しさるまで──」

ウェルテルは誓いを立てる。この少女には、決してほかの男とは踊らせまい、と。しかし、2人で旋回しながらある婦人に近づくと、その婦人は脅かすように指を立て、「アルベルト」という名を囁いた。ウェルテルは、すでに婚約者のいる娘に恋してしまったのである。
密着と旋回からはじまったウェルテルの恋は、指先がふれあうだけで全身の血脈がおののき、食卓の下でわずかに足が出会うだけで五官がくるめくような、超形而上的な〈愛〉に変貌する。

1798~9年、ヨーロッパ各地を旅行したエルンスト・モーリツ・アルンストという人物が目撃したのは、もっと形而下的な〈愛〉のワルツだった。踊り手はパートナーの長いドレスをつかみ、高く持ちあげる。二人はスカートに包みこまれるようにして身を寄せる。

「支えている手は、しっかりと胸に置かれ、動くたびに少々みだらな圧迫を胸に加えている。乙女たちは狂ったように踊り回り、今にも倒れるように見える。部屋のなるべく暗いほうへと踊っていって、カップルは大胆に抱擁しキスをする」

ワルツは、ヨハン・シュトラウスⅠ世やランナーの、いわゆる「ウィンナ・ワル ツ」の時代になって、さらにテンポが速くなった。1拍目を強調し、2拍目を少し前に出して、つんのめるような律動感をつくり出す。夢見るような序奏で開始し、小鳥のさえずりのようなトリルがはじけると、カップルは踊りの渦の中に飛び込んでいった。

リヒャルト・シュトラウスの歌劇『薔薇の騎士』では、こうしたワルツの煽情的な面が巧みに利用されている。女なら誰でもござれのオックス男爵が、元帥夫人の恋人とも知らず、女装してマリアンデルと名乗る美少年オクタヴィアンに色目を使うシーンでは、いかにも女たらし風のワルツが流れる。成り金の娘ゾフィーと婚約した男爵が、「私と一緒なら夜はいつも長くない!」と歌うのも、ヨハン・シュトラウス「神秘な魅力」のもじり。

男爵は、薔薇の騎士として登場したオクタヴィアンにゾフィーを取られて意気消沈するが、マリアンデルから逢いびきの手紙が来るとすっかり舞い上がり、一人でワルツのステップを踏みながら出ていく。そして、男爵がマリアンデルと密会する料理屋の裏でも、オーケストラがワルツ・メドレーを奏でている。
つまり、男爵が〈きざす〉場面で、必ず音楽がワルツになる仕掛けになっている。

岡田暁生『バラの騎士』(春秋社)によれば、このオペラがミラノ・スカラ座で初演されたとき、観客は「はすっぱな」ワルツの濫用にショックを受けたらしい。

第1幕は盛大な拍手を受けた、とシュトラウスは書いている。しかし、第2幕が終わると、口笛やうなり声がわきおこった。上から降ってきた何百ものビラには、「『サロメ』の作者ともあろう者が、かくも軽薄な作品へ『堕落』したこと」に対する抗議が記されていた。

「スキャンダルが静まると私は、舞台裏に行って尋ねてみた。一体何に人々はかくも立腹しているのか、と。答え『はぁ、ワルツのせいでさあ』」

第3幕、オックス男爵がシンフォニック・ワルツとともに退場するシーンでは、怒号は最高潮に達した。しかし、「観客は三重唱が近づくにつれて徐々に静かになっていき、そして三重唱は物音ひとつしない静寂の中で開始された」。

元帥夫人と美少年オクタヴィアンの戯れの恋でもなく、オックスの性欲だけの愛でもなく、オクタヴィアンとゾフィーの真実の恋がはじまるや、ワルツはご用済みになる。

リヒャルト・シュトラウスは、ヨハン・シュトラウス『こうもり』のようにワルツ ・オペレッタを書こうとしたわけではない。ワルツは彼にとって、〈きざす愛〉の象徴だったのである。

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