マルシャーク「森は生きている」
英名はスノードロップ(雪の雫)。雪の間から顔をのぞかせる。
アダムとイヴが楽園から追放されるとき、たまたま雪が降っていた。悲しむイヴを見た天使は、冬かすぎれば春が来るからとなぐさめ、舞い落ちる雪のひらに息を吹き込んだ。すると、乳白色のマツユキソウが咲き出したという。
マルシャークの童話劇『森は生きている』は、そんなマツユキソウを、是非とも冬の間にほしいと思った小さな女王の話である。
両親に先だたれた十四歳の女王は、わがままいっぱい。新年までにかごいっぱいのマツユキソウを持ってきた者には、同じだけの金貨を与えるというおふれを出す。
それをきいた老婆が、欲に目がくらんでまま娘を森にやった。娘は、十二ヶ月の兄弟たちが一同に介しているところに行きあう。けなげな娘の願いをきいた四月は、前の三つの月に頼んで、一時間だけマツユキソウを咲かせてくれる。
それぞれの月が長い杖で地面を叩くと、季節が移り変わっていくさまは壮観だ。三月が叩くと雪どけがはじまり、木々に芽があらわれる。四月が叩くと、土は若草におおわれ、うす青色や白い色の花があらわれる。
娘は、歓声をあげる。
「あたし、こんなにマツユキソウがあるの、一度も見たことがないわ。それに、どれも大きくて、くきにはやわらかい毛がはえていて、ビロードのようだし、花びらは水晶のようなの」(湯浅芳子訳)
一月は、娘に言う。お前は一番近道をして、わしらのところにやってきた。しかし、他の者は長い道を、一日一日、一時間一時間、一分一分と歩いてやってくる。それが本当なのじゃ。この道は、ゆるされない道なのじゃよ。
十二の月にちなんだ小品を集めたチャイコフスキーのピアノ組曲『四季』でも、「マツユキソウ」は四月に置かれている。ふんわりした変ロ長調八分の六拍子。波打つ左手の伴奏に乗って、最初はおずおずとためらいがちに、やがてのびやかに旋律が歌われる。
しなやかな中にも勁さを感じさせるモティーフ。ちょうど、雪の間からやっと顔をのぞかせたスノードロップのように。