新田次郎「彼岸花」
『彼岸花』といえば小津安二郎の映画や、その原作となった里見弴(トン)※の短編を思い浮かべる人が多いだろうが、私は新田次郎の『彼岸花』の方が好きだ。((トン)※は「弓」へんに、つくりは「淳」)
東京近郊にぽつんぽつんと立てられた新興住宅のひとつに、義男という六歳になる少年が住んでいる。幼稚園には行かず、隣に住む澄江という女性の家に行っては遊んでもらっていた。三毛猫と暮らす澄江は、ときどきぼんやり考えこんでしまうこともあったが、いつもやさしい声で童話を読んでくれた。
絵本に飽きると、散歩に行く。裏山をまわったところに小さな墓地があり、彼岸花が咲いていた。真っ赤な絨毯を敷きつめたように咲く花に魅せられた義男は、長い鮮紅色の花弁に手をのばすが、澄江は、お墓の花は取るものではないとたしなめ、自分が死んだら墓にこの花を植えてくれと言う。
雑木林の木の切り株のあたりに彼岸花が咲いているのを見つけた義男は、お墓ではないから取っても大丈夫だろうと思い、両手にいっぱいつんで澄江に渡す。しかし彼女は、おびえたような表情を見せるばかりだった。
やがて澄江は姿を消し、義男は、かつて彼岸花が咲いていた雑木林の木の切り株あたりにこんもり盛り上がった土塚を発見する。
死に魅入られた薄幸の女性と少年のふれあいが、華やかな、しかしどこかはかなげな彼岸花に託してしみじみと語られる。
八村義夫のピアノ曲『彼岸花の幻想』は、リサイタルで弾いたことがある。八村は一九八五年に四十七歳で亡くなった作曲家。ピアノ曲はたった二曲しか残していないが、桐朋学園子供のための音楽教室の依頼で書かれた『彼岸花』は、その中の一曲である。
「彼岸花は墓の近辺などによく咲いている。地面から突出た、葉のない、うすみどり色の茎の上に、大型の花が一輪あるさまは、見る者に、一種の予兆的な、あたりの空気のうごきを麻痺させるような印象をあたえる。私は小さいころ、長野県の上田で出会ったときの、その鮮烈な感動を忘れることはできない」(『子供のための現代ピアノ曲集』春秋社)
魂をしぼり出すような曲だ。気が遠くなるほど長くのばされた音が、クラスターの手法で少しずつ増えていく。やがて空気を切り裂く連打音が炸裂し、陽炎のゆらめきのような和音の連続が大きなうねりを描く。
ほとんどが不協和音で書かれている中で、一カ所だけ美しいニ長調の和音がきらきらとオルゴールのように響くところがある。
八村にレッスンしてもらったとき、彼はその箇所を自分で弾きながら、ここは幽霊を見たように・・・と言った。一瞬、燃え立つ彼岸花が目の前にあらわれたような気がした。