【書評】末延芳晴 著「寺田寅彦 バイオリンを弾く物理学者」平凡社(北海道新聞 2010年1月31日朝刊)

音楽感じる希有の才能

仕事がら、音楽や音楽家が登場する作品の解説を依頼されることが多い。もちろん喜んで書かせていただくが、音楽とは気持ちの流れや自然の律動、光の振動に音高や響きを与えたものだから、モティーフとして扱うだけでは真実に迫り得ないと感じることもある。

夏目漱石『我が輩は猫である』の寒月のモデルであり、ヴァイオリンを弾く物理学者として知られる寺田寅彦は、「自然的な音や光の生起、あるいは時間的持続と変化のなかに『音楽』をイメージできる希有の耳の持ち主」だった。幼時から祖母の操る糸車や物売りの声、線香花火などに根源的な音楽を感じとっていたからこそ、生涯にわたって音楽とかかわり、ヴァイオリンを弾きつづけたのだという著者の指摘には大いに共感する。

熊本の五高に学んだ寅彦は、英語教師として赴任していた夏目漱石に出会い、文学に目を開かれる。いっぽうで、数学と物理の教師田丸卓郎によって自然科学に開眼するとともに、田丸が「音響学の講義の実験器材として」弾いたヴァイオリンの音色に魅せられる。

寅彦がヴァイオリンを購入するくだり(この話をもとに漱石は寒月のシーンを書いたという)や、1922年に来日したアインシュタインのエピソードも興味深いが、何といっても読みどころは、寅彦の文章を”音楽”をキーワードに解析していく部分だろう。

寅彦の特徴は縦横無尽なクロスオーバーで、読書のさなかに長女の練習ピアノを聴き、物語と自分の情緒を重ね合わせて一種の室内楽を奏でるくだりなど圧巻である。その手法は非芸術的な領域にもおよび、デパートの売り場にドビュッシー『牧神の午後』を聴いたり、株式市況の高下の曲線を音に翻訳することを考えたり、病室のスチームが立てる騒音を交響曲に見立てたり、「地球上のあらゆる事象に音楽を聞き取ろうとする寅彦の耳」には舌を巻くほかはない。

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