【書評】浦久俊彦 著『悪魔と呼ばれたヴァイオリニスト パガニーニ伝』(産経新聞2018年8月19日付朝刊)

『悪魔と呼ばれたヴァイオリニスト パガニーニ伝』
浦久俊彦著 新潮新書760円+税

バイオリンを弾く名探偵シャーロック・ホームズの物語『ボール箱』には、パガニーニの名前が出てくる。ワトスン相手に、自分がいかに世界の銘器を古道具屋でただ同然で買ったかという自慢話をしていたホームズは、バイオリンの代名詞「パガニーニについて1時間も語った」。『ボール箱』は1893年発表。悪魔と恐れられ、教会から36年間も埋葬を拒否された天才の死から半世紀たっていた。

バイオリンという楽器は、心臓の上に抱えて演奏する。その音色は人声に近く、聴く者の魂をゆさぶる力をもつ。パガニーニのバイオリンが奏でるメロディーは、歌曲王・シューベルトにも感銘を与えた。一方でパガニーニが編み出した特殊奏法の数々は人間業とは思えず、ショパンもシューマンもリストも、みんなノックアウトされた。

「本邦初の伝記」という本書は、波瀾万丈の生涯と前代未聞の芸術の魅力をダイナミックかつ喚起力豊かな筆致でつづる。パトロンとなったナポレオンの2人の妹とただならぬ関係は面白いし、生涯にわたって悩まされた病との戦いは胸を打つ。

優れたプロデューサーである著者は、パガニーニのマーケティング能力に注目する。王侯貴族のお抱え楽士だった時代はすぎ、パガニーニは「大衆が金を払いたがる」最初のアーティストとなった。若いころは美男子だったそうが、黒ずくめの服装をして髪を長く垂らし、深くくぼんだ目に暗い焔(ほのお)をやどした風貌は強烈なインパクトを与えた。

オリジナリティーを高めるために自作は他人に弾かせず楽譜も出版しなかった。母国イタリアで18年間活躍後、満を持して乗り込んだヨーロッパ各地で大センセーションを巻き起こす。ウィーンではグッズが大流行した。パリでは「悪魔」と呼ばれた。ベルリンでは聴衆の乱闘が起きた。ロンドンでは80億円稼いだ。

晩年のパガニーニは豊富な資金をもとにえりすぐりの銘器の蒐集に精を出したが、生涯愛奏した「カノーネ(大砲)」は、今もジェノバ市庁舎で大切に保管されている。

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