【インタビュー】「この人に聞く 第1回」(あんさんぶる 2018年5月号)

青柳いづみこ
ドビュッシーを弾く喜びは、ハーモニーを弾く喜び

聞き手・本誌編集部

—青柳さんは今まで数多くのCDをリリースし、それらがいずれも高い評価を受けています。ドビュッシー没後100年に向けて、昨年から今年にかけて新たに録音した2枚のアルバムについてお聞かせください。

ひとつは、「クロード・ドビュッシーの墓」というタイトルのCDを4月にリリースしました。

1920年、フランスの音楽雑誌『ルヴュ・ミュジカル』がドビュッシーの追悼号を企画した際、その付録として、デュカ、サティ、ストラヴィンスキー、バルトークなどフランス内外の作曲家による追悼曲集が編まれました。タイトルは「クロード・ドビュッシーの墓」。今回はその中から9曲を収録すると共に、コダーイ、カゼッラ、タイユフェールなどドビュッシーを慕う次世代の作曲家も取り上げました。清瀬保二や石田一郎などの珍しい邦人作品も収録されています。

なにしろ曲数が多いので、新進ピアニストの西本夏生(にしもとなつき)さんにも出演をお願いし、ファリャやバルトークなどを演奏していただきました。アルバムの冒頭にはラヴェルの《亡き王女のためのパヴァーヌ》、ラストにはドビュッシーの《神聖な舞曲と世俗的な舞曲》が西本さんとの連弾で収録されています。また、サティの歌曲などでは、ソプラノ歌手の福田美樹子さんも登場します。ドビュッシー追悼と言いながら、かなり多彩で賑やかな内容になっています(笑)。

 *

もうひとつは、「ドビュッシーの夢」というアルバムで、《前奏曲集第1巻》、《聖セパスチャンの殉教》、 《夢》、さらにコダーイの《ドビュッシーの主題による瞑想曲》を収録しました。こちらは5月のリリースになります。私のCDデビューが1996年にレコーディングした《前奏曲集第1巻》だったので、この曲に関しては、およそ20年ぶりの再録音ということになります。

今回の特色は、何といっても1925年製のベヒシュタインを使ったということですね。ドビュッシーは自宅にベヒシュタインのアップライトを持っていて、とても気に入ったようです。もともとベヒシュタインのピアノは、低音域、中音域、高音域が綺麗に分離して聞こえる特性を持っていて、ある意味、オーケストラ的な音ともいえます。《前奏曲集第1巻》は、《管弦楽のための映像》第2曲の〈イベリア〉と同時期に作曲が進行していました。もちろん、楽譜は二段譜で書かれているわけですが、音楽はとてもオーケストラ的なのです。その意味でも、ドビュッシーのピアノ曲はベヒシュタインにフィットするといえますね。

今回使用したのは現在の楽器とは違うメカニズムをもつE型で、パスは朗々と、高音は輝かしく、まるでオルガンのように鳴り響きます。魔法の音みたいですよ(笑)

—「ドビュッシーの夢」には、1曲だけコダーイの作品が入っていますが…。

1907年コダーイがパリに出てきたときにドビュッシーの弦楽四重奏曲を聞いて感激し、そのテーマを基に《瞑想曲》を書きました。彼はとても、ドビュッシーに心酔していて、その思いが溢れる曲となりました。ドビュッシーは没しても、その音楽は次の世代に受け継がれ、終わることがないという思いを込めてこの曲を演奏しました。次世代への継承、これは「クロード・ドビュッシーの墓」にも共通するコンセプトかもしれません。

—ドビュッシーの魅力とは?

私の恩師の安川加喜子先生に「ドビュッシーを弾く喜びは、ハーモニーを弾く喜び」という言葉があります。私もそのとおりだと思っています。ドビュッシーは和声法の大家と評されていますが、彼自身は「自分の音楽はすべてメロディーだ」と語っています。この言葉の中にドビュッシーの魅力の根源があると思います。メロディーを構成するひとつひとつの音が生み出す倍音が作用して、独特な和声感、が醸し出される。ドビュッシーは、人間の耳では聞こえないほどの高次倍音律まで使って作曲をしているので、溢れ出る音楽は、多彩なハーモニーを生み出し、自然に心地よく耳に響くのです。まさに「ドビュッシーを弾く喜びは、ハーモニーを弾く喜び」、そこに最大の魅力があると思います。

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