青春18ディスク 私がオトナになるまでのレコード史・前篇(レコード芸術 2020年1月号)

ききて・文=飯田有抄

父のテープレコーダーや祖父の本棚を通じ、知った19世紀末芸術とは、退廃的な世界。発表会のステージで、大きなリボンにエナメル靴のような“いい子ちゃん”で弾くスタイルはそぐわないと思った

ヨーロッパの音楽や文学に自然に親しむ環境にあった

オーディオマニアの父親がかけるギーゼキングのモーツァルトとともに目覚め、就寝時にはバックハウスの弾くベートーヴェンが流れる家庭に育った。フランス文学者の青柳瑞穂を祖父にもち、幼少期から文学の世界にも親しんだ。いわゆる英才教育やお稽古事という範疇ではなく、ごく自然にヨーロッパの音楽や文学に親しむ環境にあったが、その一方で日本の演歌や歌謡曲も好きだった。そんな青柳いづみこが最初に挙げた一曲は、原智恵子が弾くクープランの《葦》(クラヴサン曲集第3巻第13組曲第2番)。

「当時私は小2でしたが、イタリアに渡る直前の原智恵子さんが、日本の楽壇を離れる悲しみを表現しているように感じられて、子ども心にじーんときましたね。クラシックは親の御仕着せで聴いていただけだったけれど、原さんの音楽は情緒たっぷりでうねりが多く、ちょっと演歌的だったので、胸に響くものがありました」

同じクープランでも「正反対のかっこよさ」を感じたのは、田中希代子の弾く《修道女モニク》(クラヴサン曲集第3巻第13組曲第3番)。
「これを聴いたのは小学校高学年の頃。希代子さんの演奏は一切媚びたところがなく、シャープでぶっきらぼう。とてもかっこよかった」

同じ頃、父の友人宅で聴いたグリュミオーとハスキルによるモーツァルトのヴァイオリン・ソナタも印象に残った。
第21番ホ短調がすごく好きで。あの頃はモーツァルトというと、リリー・クラウスやイングリット・ヘブラーがいましたが、クラウスはゴツゴツしているし、ヘブラーは甘すぎると感じて、繊細なハスキルが私には一番しっくりきました」

中学時代に聴いたリパッティの『最後のリサイタル』では、ショパンのワルツに「なんとも言えない儚さ」を覚えた。
「長調と短調の移り変わりがよくて、長調の曲により悲しみを感じましたね」

のちにドビュッシーのエキスパートとなる青柳だが、父がテープレコーダーに録音していた音源によってその美しさを知った。
「題名も作曲者もわからずに聴いた《夜想曲》の第3曲〈シレーヌ〉に魅せられました。ドビュッシーの音楽は豊かな倍音で形成されていますが、その響きに強く引き込まれたのは、私がピアノを弾き始めた頃の経験と無関係ではないのかもしれません。最初にピアノを習ったのは、両親が所属する合唱団の音楽教室でした。その合唱団は、佐々木幸徳さんの提唱された音感教育で、ひとつの音に対し共鳴する音を出す訓練を行なっており、純正調やハーモニーの感覚を早くから身につけることができました。のちに祖父と親しかった野村光一先生のご紹介で、安川先生のいらっしゃる桐朋の音楽教室へ入りましたが、当時の桐朋では和音をランダムに鳴らして音名をあてさせるなど、行き過ぎた形での絶対音感教育が行なわれていました。その弊害は後年指摘されるようになりましたが、私は“調和する”感覚を持っていたので、よりドビュッシーにひきつけられたのかもしれません」

ドビュッシーの歌曲でヴェルレーヌに目覚めた

高校は芸大付属高校へ。アテネ・フランセに通い、フランス語を習い始めたころには、ジェラール・フィリップの朗読による『星の王子さま』のレコードをよく聴いた。

1年生の冬休み、雪が降り込める日にドビュッシーの歌曲集《忘れられた小唄》を聴き、その物憂げな響きに魅せられた。冬休みが終わると、当時大好きだったボーイフレンドに別の彼女ができていた。そんな失恋の記憶もこの歌曲には刻まれている。モーパッサンの『女の一生』を翻訳した祖父・瑞穂が、出版社から届く世界文学全集を与えてくれたため、さまざまな小説に加えてヴァレリーやマラルメらの詩を読んでいたが、ドビュッシーの歌曲によってヴェルレーヌの詩にも目覚めた。

「ドビュッシーのピアノ曲は小学生の頃から《アラベスク》などを弾いていましたし、安川先生門下の発表会では先輩たちがエレガントに弾くのを聴いていました。でも、それにはあまり興味が持てませんでしたね。というのも、父のオープンリールや祖父の本棚を通じて、私が知った19世紀末芸術とは、グロテスクの美をあがめるような退廃的な世界。発表会のステージで、大きなリボンにエナメル靴のような“いい子ちゃん”で弾くスタイルはそぐわないと思ったし、とにかく苦手で積極的になれませんでした」

ドビュッシーのピアノ曲に抱いていたもやもやとした印象を払拭してくれたのが、ミシェル・ベロフによる演奏だった。
「ベロフのドビュッシーは、すべて線がくっきりとしていて、リズムの特性も構造的によくわかる。それでいて有機的な歌心に満ちていて、衝撃的でしたね」

時は1970年代始め。同級生たちはポリーニ、アルゲリッチ、ミケランジェリを完全無欠な神のようにあがめ、グールドのユニークなレコードを信仰していた。
「私はどこか居心地の悪さを感じていました。ホロヴィッツの1965年のカーネギー・ホールの録音も、モシュコフスキーの完璧な演奏に、友人たちは憧れを抱いていました。ところが2000年代に入ってから未編集のライヴ音源がリリースされると、シューマンの幻想曲なんて途中で止まりそうにもなっている。つまり、私たちが当時聴いていたものは、機械技術によって完璧なものへと作り込まれた、ある種の“偶像”だったのです。後年調べたところによると、ポリーニやグールドにも人間的で素敵なテイクがあったそうなのですが、お蔵入りになったそうです。当時みんなが神のように思っていた録音は、じつはお化粧したものだったのですね」(後篇に続く)

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