「グロテスクの美とドビュッシー」(岩波「図書」2010年3月号)

フランス近代の大作曲家クロード・ドビュッシーときいて、人は何を思い浮かべるだろう? コマーシャルにもよく使われる『月の光』、マラルメの長詩に想を得た『牧神の午後への前奏曲』、はたまたCDのジャケットを飾るクロード・モネの『睡蓮』。

中学校の音楽の教科書では、ドビュッシーは「印象主義音楽の創始者」と紹介されるのだ。おかげで、全国津々浦々、クラシック好きの子供たちの頭に「ふわふわしたピンクやブルーの霧」がインプットされる。

二〇〇九年秋冬、私は東京とパリでドビュッシー未完のオペラ『アッシャー家の崩壊』を上演した。原作はいわずとしれたエドガー・ポーの怪奇小説である。二〇〇九年は奇しくもポーの生誕二
百年に当たっていた。

一八〇九年一月一九日に生まれたポーは、二月三日生まれのメンデルスゾーン、同月一二日生まれのダーウィンとリンカーン、三月三一日生まれのゴーゴリと同い年である。

富裕なユダヤ人一家に生まれ、光に満ちた音楽をつくったメンデルスゾーンとの取り合わせにもびっくりするが、三週間違いで同じ国に生まれたのに、片方は貧困のうちにのたれ死に、片方は銃弾に倒れた第一六代大統領という対比もなかなか考えさせられる。

それはさておき、なぜドビュッシーとポーのとりあわせかというと、一九世紀末パリでは、ボードレールが翻訳・紹介したポーの怪奇小説が大ヒットし、ドビュッシーも周囲の詩人たちもことごとくポーの「グロテスクの美」に夢中になっていたという背景がある。

一八八七年、当時二五歳のドビュッシーは、アンケートで「好きな作家は?」ときかれて「ポー」、詩人はボードレールと答えている。ちなみに、「好きな画家」の回答はモネではなく、モロー。

一八九〇年には、ポーの怪奇小説の音楽化も企てていたらしいのだ。ある文芸評論家がロマン・ロランに宛てた手紙によれば、「奇異なほど文学に興味をもっている若い音楽家アシル・ドビュッシー」は、「エドガー・ポーの短編、なかでも『アッシャー家の崩壊』にヒントを得て、心理学的に展開するテーマにもとづく交響曲を作曲中」だったという。

この「交響曲」の痕跡は今のところ発見されていないが、九四年作の『弦楽四重奏曲』の循環テーマが、のちのオペラ『アッシャー家』の主要主題に酷似していることから、筆者はひそかに、弦カルこそ交響曲『アッシャー家』の名残ではないかとにらんでいる。

この主題は、ラファエロ前派の詩人・画家ロセッティのソネットにもとづく未完の声楽曲『柳の木立ち』(一八九六~一九〇〇)でも使われている。ロセッティのソネットじたいも、麻薬の飲みすぎで変死した妻の柩に原稿をおさめて埋葬したものの、出版をすすめられ、七年もたってから掘り起こしたというポーばりのエピソードがくっついている。 

ドビュッシーが実際にオペラ『アッシャー家の崩壊』に着手するのは一九〇八年六月のことである。すでにオペラ『ペレアスとメリザンド』や交響詩『海』でフランスを代表する作曲家となっていた。一九〇四年にはボヘミアン時代を支えた妻を捨てて富裕な銀行家夫人のエンマと駆け落ちし、高級住宅街に一軒家をかまえ、〇五年には愛娘も生まれた。

この結婚がしかし、あまりうまくいかなかったらしいのだ。ドビュッシーは父親がパリ・コミューンに参加して逮捕されたこともあり、極貧の少年時代を送った。当時のクラシック界はまだ「トゥ・パリ」と呼ばれる上流社会が牛耳っていたようなところがあり、上昇志向の強いドビュッシーも名高いサロンの歌姫を娶ってはみたものの、あまりに生活レベルが違いすぎて、召使や料理人を雇っての贅沢な暮らしに稼ぎが追いつかなかった。

かてて加えて命とりの病気となる直腸ガンの前兆もあり、痛みをとるためにモルヒネを服用したりして、絶望の淵に沈んだドビュッシーは、みずからの家庭を『アッシャー家』になぞらえ、主人公ロデリックの不吉な運命に自分のそれを重ねあわせていくのである。

ポーの原作を脚色して台本を書いたのも、ドビュッシー自身だった。物語では瓜二つの双生児という設定のロデリックと妹マデリーヌの年齢をぐっとひきはなし、原作ではわずか一~二行登場するだけの医者の役割を拡大させ、マデリーヌに横恋慕して兄をさしおいて生き埋めにしてしまうという恐ろしいキャラクターに設定している。

台本の筆は進み、それぞれ一九〇九年、一〇年、一六年と三種類も完成させているのに、かんじんの作曲はさっぱりはかどらなかった。最終稿の台本は一幕二場だが、現在清書の形で残されているのは一場全部と二場の途中までで、あとは墓から脱出したマデリーヌが階段をのぼってくる場面など各シーンの断片が、悪戦苦闘のあとを物語っている。

オペラ『アッシャー家の崩壊』は、私が一九八九年に書いた博士論文のテーマであり、九七年に上梓した評伝『ドビュッシー』の主要テーマでもあった。レクチャー・コンサートでもとりあげたし、雑誌の特集や単行本でも何回も紹介してきた。

しかし、音楽関係者も一般の聴衆も、反応はあまりよくなかった。未完とはいえ、同時期に進行していたさまざまな完成された作品に影を落としていて、『アッシャー家』を知ることによって聴き方もがらりと変わるはずなのだが、よほど「ピンクやブルーの霧」の刷り込みが強いのだろう。『アッシャー家』のことを話したあるピアノの先生から、「私ね、きれいなものが好きなの」と言われて絶句したこともある。
オペラの紹介もなかなか果たせなかったが、エドガー・ポー生誕二百年記念に後押しされてようやくコンサート形式の上演が実現した。

東京公演は九月二四日、浜離宮朝日ホールでおこなわれた。オーケストラを雇う資金はないので、筆者と若いピアニストが伴奏した。演出も舞台装置もなし。歌手たちはそれぞれスポットライトの中で歌う。
序奏は、アッシャー家の黒い沼を象徴する禍々しいH音のトレモロで始まる。『弦楽四重奏曲』の循環主題に酷似したモティーフは「狂気の愛の主題」と呼ばれる。ついで、ドビュッシーがデカダン的な表現のために使った全音音階の和音が淀んだ空気を醸しだす。ここまでは舞台は暗く、ピアノのところにだけスポットで照らしだされている状態。

「狂気の愛の主題」と「恐怖の主題」がドッキングしたところで、白い衣装のマデリーヌにスポットが当たり、「幽霊宮殿」のアリアを歌う。このモティーフは、ドビュッシーが愛したワーグナーの楽劇『パルジファル』の一場面で、パルジファルを誘惑しようと歌う花乙女たちの妖しいメロディによく似ている。たぶんここからとったのだろう。

マデリーヌの姿が消えると、不気味な間奏を経て友人と医者が登場する。
幼なじみのロデリックから切迫した調子の手紙をもらい、心配してアッシャー家を訪れた友人に対して医者は「あなたはどなたですか? 何を望んでいるのですか? 許可なくこの部屋にはいってはならないことを知らないのですか?」と詰問する。ドビュッシーの作曲帳では、この部分に「斜めの蠍座と逆さの射手座が夜空にあらわれる」という占星術めいた不思議な言葉が書き記されている(意味がおわかりになる方は編集部までお知らせください)。

ドビュッシーの音楽も、鏡状に半進行する二本の半音階を使い、禍々しい雰囲気を盛り上げている。医者は、攻撃的で悪魔的な面とマデリーヌに恋こがれる純情な面を交互に見せた、かなり複雑な役柄である。
医者役の根岸一郎氏は、フランス語のディクションが見事でソフトな歌い口。純情さは文句なく出たが、悪魔性のほうはなかなか表現できない。ところが、コンサート当日には豹変して狂気がほとばしり、大変よい舞台になった。

第二場の前半は、ロデリックが館の壁石に向かって延々と独白する場面である。一族の悲惨な最後を見てきた壁石。早晩自分も同じ運命をたどるのだ・・・。ロデリックはあたかも彼らに人格があるかのように切々と呼びかける。このあたりは、自身も死に直面していたドビュッシーの心情告白的な面がある。

音楽が抜けている部分では普通のせりふをしゃべるのだが、ロデリック役の鎌田直純氏にとってはこれが難題だったようだ。音楽のついている言葉は苦もなく覚えられるが、いざ音楽がとだえると不安らしい。コンサート当日は見事にせりふがはいり、迫真の演技となった。

歌手たちは上々の出来だったし、客席は温かな拍手で迎えてくれたが、専門家すじでは賛否両論だった。もともと台本の半分ぐらいしか音楽が書かれていない未完の作品である。友人がロデリックと再会する場面からマデリーヌの蘇りの場面まではまったく手がつけられていない。字幕であらすじを紹介しつつ、それまで出てきたモティーフを適宜組み合わせてBGMふうに流し、ときにはマデリーヌのモティーフが使われているピアノ曲を挿入したり、ドラマの流れに穴があかないように工夫した。終末のマデリーヌの蘇りの場面も、おどろおどろしい連打音のモティーフを積み重ね、ときに二倍に増やしたりしてクライマックスを演出したが、ドビュッシーが残したままで上演すべきだという意見の方もいらしたようだ。しかし、それではコンサートではなく研究会になってしまう。

内容が内容だけに、一部の聴衆からは「あんな恐ろしい物語をよく上演したものだ・・・」という声も寄せられたし、近親相姦や死者の蘇りに対する拒絶反応も感じられた。いっぽうで、ドビュッシーの残した音楽がポーの作品に比べて恐怖不足だったというジャーナリストもいた。まぁ、だから未完に終わったのだが。

一二月六日のパリ公演(シテ・デ・ザール)では、別の問題がもちあがった。配役すべての歌手がそろわなかったのである。EMIからリリースされた『アッシャー家の崩壊』で医者役を歌ったフランソワ・ル・ルー氏に人選を依頼したのだが、声をかけた歌手すべてに断られたとか。未完で今後も上演の機会がなさそうな作品をわざわざ練習しようという歌手はそうはいないのかもしれない。あらためて、四ヶ月間も熱心に稽古に励んでくれた東京の歌手たちに感謝の念が沸き起こる。

仕方なく、主宰者の紹介でフランス在住の新進ソプラノ歌手安田麻佑子さんをマデリーヌ役に、バリトンの渡辺健一氏をロデリック役に、せりふの多い友人役は、やはり主宰者の紹介で、俳優のロマン・サンデール氏にお願いすることにした。

フランスでの上演なので字幕はなし。台本をカットする部分では、音楽をバックにサンデール氏にレジュメを語っていただく。この方式はなかなかうまくいった。

端正な演技だった東京公演の鎌田氏とは対照的に、渡辺氏のロデリックは感情をあらわにし、セリフをしゃべりながら泣いたり笑ったりいそがしい。客席には受けがよく、終演後にはブラボーがとびかい、ドラマティックだ、感動的だったという賛辞が寄せられた。

もともとポーを発見したパリの聴衆は「グロテスクの美」をポジティヴに受け入れる。ドビュッシーの知られざる一面に蒙を開いてくれた、彼のことをもっとよく知ることができたという感想は、私がまさに目指していたところだったので嬉しかった。

同時に、これだけネットが発達して世界が狭くなっても、美意識という点で、やっぱりまだパリはパリ、東京は東京なんだなとも思った。

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