生まれてきてよかったと思うために
あるピアノの生徒が不妊症に悩み、人工受精で子供を授かった。快哉を叫んだが、同時に、そうして生まれてきた子供が背負わされるものにも思いをはせた。
本書のテーマはさらに複雑だ。登場人物の七人は非配偶者間人工授精、つまり父親以外の精子によって誕生した子供たちなのだ。
一九七〇年代末から八〇年代初め生まれの七人は、同じクリニックで人工授精を受けた早坂夫妻が主宰するキャンプで出会う。共通項を持つ人々が互いに支えあう一種の理想郷だった。いじめられっ子の沙有美は唯一生きているという実感があったし、早坂の息子で優等生の弾もここでは「透明人間」ではなかった。
しかし、七歳の紀子と九歳の賢人が幼い恋に落ちると、早坂はキャンプを閉鎖してしまう。クリニックの経営はずさんで、同じドナーが複数回提供しており、子供たちが兄弟である可能性がゼロではないからだ。
唐突に断ち切られたキャンプのその後をたどることで、子供たちと両親の生きざまが明らかにされる。
子供を産み、「無敵の気分」を手に入れた母親と対照的に辛い立場に置かれるのは、成さぬ仲の父親だ。親たちの結婚生活はほとんど破綻している。無気力な性格だったり病気をかかえていたり、ダメージを負った子供もいるいっぽうで、シンガーソングライターの波留やイラストレーターの樹里といった才能豊かなアーチストも生まれている。
子供たちが再会するまでの経緯が、いかにもネット社会風で面白い。広告代理店に勤める賢人は、コンペに応募してきた樹里のメールアドレスを知り、連絡する。キャンプの仲間を捜そうという賢人の提案で樹里はHPに別荘のイラストを描き、参加者だけにわかるメッセージを入れた。専業主婦の紀子は、子供服のサイトを通じてそれを読む。
波留が歌うシングルCDの歌詞も同じ内容だった。沙有美はネットカフェでそれを聴き、ファンレターを出す。家出少女を無償で泊める「泊め男」の雄一郎は、少女の一人のiPodで同じ歌を聴いた。
キャンプに参加した子供たちが集結していく過程はスリリングだが、いざ一同に介してみると思惑はさまざまに異なっていて、展開はぐっとゆるやかになる。
網膜の病気を患っている波留は、生物学上の父を知る必要に迫られている。早坂弾は両親のスクラップからクリニックの告発記事を書いた作家を探し出し、スタッフやドナーの一部もつきとめる。しかし、子供たちが一致協力して父親を捜索するとか、作家にドキュメントを書かせるという方向には向かわない。これがこのジェネレーションの特徴なのだろうか、コミュニティをめざした両親世代とは明らかに異なっている。
キャンプの仲間たちに会うこと、真実を知ることは、子供たちにとって人生の一歩を踏み出すための手段にすぎなかった。人工授精で授かった子供という負い目から脱け出し、生まれてきてよかったと思うための。同時に、自分は一人ではないのだと確認するための。
重いテーマだが、生命讃歌に満ちたラストは爽やかな読後感を残す。