饗宴のスぺクタクルを読む!
◇『モンマルトル風俗事典』鹿島茂・著(白水社/税込3360円)
モンマルトルといえば、赤い風車の「ムーラン・ルージュ」。 ロートレックが描いたラ・グリュ(大食い女の意)は、「マハラジャ」のお立ち台で踊るディスコクィーンのような存在だった、と著者は書く。
ダンスホールの中央フロアで脚をはねあげて踊っていたところをスカウトされ、「ムーラン・ルージュ」のスターになった。「踊る作家」コレット、「ミュージックホールの女王」ミスタンゲットもここで踊った。
しかし、碩学(せきがく)のフランス文学者にして古書収集家、風俗評論家でもあるムッシュ・カシマの目的は、無論、遊び場や芸人をネタに郷愁にふけることではない。
「マハラジャ」といったら、読者の頭にはバブル最盛期の東京のディスコシーンが浮かんでくるだろう。
でも、バルザックの小説に出てくるダンスホールの名をそのまま出しても、同じ現象は起きない。固有名詞は「生活感情や時代感覚の最高のタイムカプセル」なのに、ごく限られた読み手にしか役目を果たさない。
同じ高級ディスコでも麻布十番の「マハラジャ」と六本木「エリア」ではカラーが異なるように、レビュー小屋も「ムーラン・ルージュ」と「ディヴァン・ジャポネ」では客層が違う。前者で茶番劇を演じたイヴェット・ギルベールは、後者では正統的シャンソンを歌った。さらに、同じレビュー小屋でも時代によって経営方針も出し物もまったく変わってしまうのだ。
著者は、タイムカプセルに読者を乗せてそれぞれの盛り場に運び、「一つの時代の共同性を個別性において把握」させたあと時間軸を動かし、モンマルトルの栄枯盛衰を四次元的に体験させようともくろむ。
盛り場の起源が、ルイ十五世時代に再建された徴税制度だという話はおもしろい。くまなく税金をとるためにパリの街に壁ができ、その外側に庶民が無税の酒を飲んだりダンスをしたりする店ができたという。
モンマルトルの歓楽は知の饗宴からエロスの饗宴までさまざまだ。「ブラスリ・デ・マルティール」にはボードレールはじめ放浪詩人たちがつどった。少年詩人のランボーがヴェルレーヌの手にナイフで切りつけたのは、文学カフェ「ラ・モール」だった。「カフェ・ゲルボア」は絵画の印象派の誕生に寄与した。
デカダン詩人がドタバタ劇を演じた「シャ・ノワール」、店主が客を罵倒することで人気を博した「ミルリトン」。ロイ=フラーが胡蝶の舞を披露し、ジョセフィン・ベイカーがバナナ・スカートで踊った「フォリ=ベルジェール」もパリの名士たちを魅了した。
個人的にいちばん興味をおぼえたのは、流刑地から戻ったパリ・コミューンの元闘士が開いたコスプレ・レストランである。なんと、ウエイターが囚人服に足かせで給仕したとか。
著者は、簡潔にして喚起力豊かな文章(なかなか両立しないものだ)を駆使して、芸人たちの強烈な生きざまや驚くべきスペクタクルの様子を一瞬のうちに浮かびあがらせる。タイトルは「事典」だが、読み物としても抜群におもしろい。