【特集】「相撲の神髄」(東京人 2009年6月号)

私の好きな力士

北葉山英俊 小さな身体で繰り出すうっちゃり

最近の大相撲は、私が熱心に見ていた昭和三十年代の相撲に、少し似ている。というのは、モンゴル勢が中心なので、比較的小柄で腰の力の強い人が目につくからだ。

まわしをつけた力士の、横から見た腰のくぼみが私は好きで、これがないとお相撲さんのような気がしない。私の小学生時代には、頭をつけてもぐるのが専門の潜航艇・岩風、両まわしをとったら何がなんでも吊りに行く起重機・明武谷など、腰の強い力士が活躍していた。中でも私が応援していたのは、柏鵬時代の脇役大関、北葉山である。

私は今でもチビで手が小さいのだが、子供のころも当然そうで、だからピアノを弾くのには苦労した。ストレッチをして指の間を拡げたり、指の筋肉をつける体操をしたり、手が小さい人は大きい人の三倍ぐらい努力しなければならない。

相撲を見るときも、自然に身体の小さい人をひいきするようになる。北葉山は身長173センチ、体重119キロと小兵で、名横綱双葉山が開いた時津風部屋に入門志願したものの、最初は断られたほどだった。部屋の横綱鏡里に鍛えられて頭角をあらわし、初土俵から四年で関取になった。さっと飛び込んで左を差し、頭をつけるしぶとい相撲だった。

入幕五場所目に小結に昇進すると、十二場所連続で三役をつとめ、昭和三六年七月場所、大関に昇進した。しかし、柏戸・大鵬の大型横綱が君臨していたから、なかなか白星は上がらない。当時大関は二場所負け越さないと陥落しなかったが、北葉山はこの優遇措置を最大限に利用したほうで、大関在位三十場所中二桁の勝ち星がわずか九場所しかない。昭和三八年十一月場所ではめずらしく白星を積み重ね、大横綱大鵬をも右からの強烈なしぼりで撃破し、千秋楽、横綱佐田の山に破れたものの、決定戦でくだして優勝している。

北葉山の相撲でよく批判されたのは立ち会いの「待った」である。優勝した場所は後半戦で十一回も「待った」があった。決定戦に臨んだ佐田の山も、きっと「待った」だろうとのんびり立ったと ころ、相手が意表をついて早く立ったために何もできず、あっさり土俵を割ってしまった。

しかし私は、このかけひきも含めて、彼のことが好きだった。北葉山の土俵上の歩み、塩をまくしぐさ、仕切り、尊虚の姿勢には何ともいえないリズムがあり、心地よかった。

もっと心地よかったのは、北葉山の得意技ともなった「うっちゃり」である。立ち会い一気に出てくる相手に対して土俵際まで下がり、得俵にかかとをつけてから右や左にうっちゃるとおもしろいよ うに決まった。柏戸とは親友の間柄だったが、速攻相撲の柏戸はこのうっちゃりがもっとも決まりやすい相手で、彼があまり優勝できなかったのは北葉山がいたからだ、などとも言われた。

角界きっての理論家で、親方時代に相撲雑誌に載るコメントもおもしろかった。NHKの放送に出てきたら、舞の海並みの名解説者になったかもしれない。

今の土俵に北葉山はいないので、わずかに阿馬(どうも日馬富士というしこ名はなじめない)のうっちゃりを見て当時をしのんでいる私である。

2009年6月13日 の記事一覧>>

より

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