「吉田秀和さんを悼む」(東京新聞 2012年5月29日)

対象とらえる鋭い視点

「ボクはね、死なないんだよ」が口癖だった。その言葉どおり、永遠に私たちを導いてくださるものと思っていたが、音楽評論の新しい試みであり、自伝でもあった四部作「永遠の故郷」(集英社)を完結させて、さすがにほっとされたのだろうか。

最後にお目にかかったのは、拙作「グレン・グールド未来のピアニスト」の構想について相談に伺ったときだから、秀和さんが九十五歳のころ。午後のお茶に招かれ、夕方暗くなるまで語り合った。記憶に濁りはまったくなく、理路整然、すさまじい頭脳だった。

孤高の人だったと思う。音楽、美術など実体のないものを活き活きと喚起させる文章力は他の追随を許さなかった。音楽にとどまらず、芸術の各ジャンルの書き手を育てるために吉田秀和賞を創設、私も受賞の恩恵にあずかった。

鋭い嗅覚を持つ人だった。作曲家でも演奏家でも、当事者しか知り得ないかすかな矛盾にとりつく。 のぞき趣味に終わらせず大きな視点に還元させ、対象を俯瞰することのできる人だった。ベネデッティ・ミケランジェリがラフマニノフの四番という珍しい協奏曲を弾いたとき、その理由を尋ねて相手をどぎまぎさせた。読み手は一連のやりとりから、神秘のピアニストの意外な人間性を感知したにちがいない。

クラシック音楽の社会的地位に気づいたのは、二〇〇六年に文化勲章を受章されたときではなかったろうか。 丸谷才一さんら作家たちに、まだもらっていなかったのかと冷やかされ「いたく傷ついた」という。「調べてみたら、音楽関係の受章者は他の芸術、文化分野に比べて極端に少ないことがわかった」というスピーチには胸をつかれた。

詩人の中原中也に音楽を言語化する道を後押しされたという秀和さんの時代と違い、こんにちでは各ジャンルの分化が進み、芸術評論はますます発表の場を狭められている。もうあんな書き手は現れないと嘆くのは簡単だが、早急に次世代の吉田秀和を発掘、育成する方策を考えなければなるまい。

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