「モーツァルトをチェンバロ、ハンマーフリューゲル、ピアノで弾き分けたピュイグ=ロジェ先生」(ムジカノーヴァ 1986年6月号)

日本ピアノ教育連盟第2回全国研究大会・前夜祭にて

インタビュー・青柳いづみこ

東京芸術大学の招きで来日されてから六年半、演奏に教育に……と八面六臂の大活躍をなさっていらっしゃるピュイグ=ロジェ先生に、日本ピアノ教育連盟のリサイタルで演奏されたモーツァルトの作品を中心にして、お話をうかがいました。

モーツァルトのピアノ曲を三つの時代の楽器で演奏

−−演奏会では、作品の年代に応じて楽器を変えて弾かれた点が、話題になりましたが。

モーツァルトは4歳から作曲していましたが、今回は、10歳以前の作品をクラヴサンでそれから青年期までのものを、ハンマーフリューゲルという、少し進んだ楽器で弾きました。その時代の雰囲気を少しでも出せたら、と考えたからです。モーツァルト、といって私がすぐ思い浮かべるのは、クラヴサンの前に坐ったちっちゃなヴォルフガングの肖像画なんですよ。ウィーンの宮殿で少しお姉さんのマリー・アントワネット王女の前で演奏して、「私のことお好きですか?」ときいたモーツァルト……。

−−それぞれの楽器の弾きわけについて。

私はオルガンも弾くので、グラヴサンについてはそれほど困らないのですが、ハンマーブリューゲルのほうは、とても弾きにくくて大変でした。この楽器は、オクターヴの幅が今のピアノの7度と8度の中間なのです。だから、よほど注意しないと音をはずしてしまいます。二重弾機がまだついていないのでタッチがとても軽く、親指を使うと指の重さで鍵盤が上がらなくなってしまうし、ペダルも鍵盤の下についているのを、膝で操作するのですよ。これも、なれないとやりにくいですね。

モーツァルトのピアノ曲はオペラのイメージが

−−日本の小さい子供たちが弾くモーツァルトを、どんな風にお感じになりますか?

日本にオペラ座がないのが、とても残念です。モーツァルトのピアノ曲は、まず何よりも彼のオペラのイメージなのです。子供には、ソナタや協奏曲のレコードより、オペラを沢山聴かせたいですね。ソプラノのヴォカリーズ、女声と男声の重唱、オーケストラ、そしてダンス……。モーツァルトは、勿論立派なフーガだって書けたのですが、彼はそれよりも、旋律を豊かに装飾する方がずっと好きでした。モーツァルトを弾く上で一番むずかしいのは、音の粒をそろえることではなく、フレージングの曲線をうまく表現することなのですよ。それは、言葉のリズムからきています。リズムはまた、舞曲のリズムに通じます。昔はよく、詩の朗読に合わせて踊ったものですよ。

ヨーロッパ音楽には動きのないものはひとつもない、と言ったのはブーレーズですが、全くそのとおりで、ある点からある点に至るまでの、メロディのカーブとそのリズムこそが、肝心なのです。ピアノはメカニックな楽器なので、どうしても平板になりがちですね。オペラをきくことによってそうした動きに対する感覚をやしなうことは、ピアノ曲の構成や性格を理解する上で、大変役に立つと思います。

–具体的な勉強の方法としては……。

モーツァルトのフレージングの本質をとらえる為には、楽譜をみてすぐピアノを弾かないことですね。オーケストラの指揮者がいつもそうするように、あなたの内部で、まずその音楽を組み立ててしまうのです。それも、動きがなくなってしまわないように、歩きながらの方がいいでしょう。そうしてからはじめて、今あなたが想像したばかりのものを、ピアノの上にさぐってみるのです。決して、初めからピアノの上だけでさがしてはいけません。

はじめはよく動く指よりもよい耳とよい趣味を

−−初心者の指導にあたって気をつける点は?

はじめのうちは、よく動く指よりは、よい耳とよい趣味をやしなうことが大切です。転調や終止についての感覚や知識を、はやくから身につけさせることも必要でしょう。私が小さかった時には、モーッァルトやシューマンなどの、子供用に編曲された美しい作品しか弾きませんでした。音楽的に貧しい練習曲は、かえって悪い影響を与えるだけではないでしょうか。一方、バルトークのミクロコスモスは、右手と左手の独立の為にとてもよい教材です。

−−これから専門家をめざそうという人々に、何かアドバイスを……。

あまりはじめから、専門化しすぎないほうがいいですね。ある程度いろいろな楽器も弾けたり、オーケストラのスコアも読めたり、作品のアナリーゼもできるようにしておくべきだと思います。私の場合には、。パリ音楽院の伴奏科の教授に任命されるまでの15年間、パリのオペラ座でピアノを弾いていました。これは、オーケストラのかわりをするただの伴奏者ではなく、同時に、歌手やコーラスの指導をする仕事なのです。指揮者は、私がある程度まとめたあとにやってきます。総合的な音楽の勉強が生きた形でできるわけですから、これはすばらしい経験でした。

室内楽や伴奏にもっと重点を

−−日本の音楽界についての、ご注文は?

室内楽や伴奏などが、まだ充分に重要視さ孔ていないように思われます。どんな音形のやさしい伴奏だって、ちょうどお皿をのせたお盆と同じで、それがなかったら何もかもひっくり返ってしまうのですが……。でも、これはフランスでも同じだったのですよ。有名なティボー・コルトーのコンビでさえ、古いレコードでは、コルトーの名前はほんの小さくすみの方に書いてあるだけなのです。だから、きっと日本でも、そのうちによくなるでしょう。

 

ピュイグ=ロジェ先生の一週間のスケジュールをうかがうと、びっくりしてしまいます。週のうち4日は、各音楽大学でオルガン、ピアノ、声楽、室丙楽、ソルフェージュ、初見、スコア・リーディングを指導され、その上に、ご自分の数多い演奏会の準備をなさるのです。

一人何役もの肩書きをお持ちですが、ピュイグ=ロジェ先生の多彩な活動のすべては、深く豊かな文化に裏打ちされた”音楽家”であるという、ただその一点に集約されているように思われました。

先生は、私たちよりほんの少し年をとられているらしいのですが、若さの方も、私たちの中の誰よりも沢山持っていらっしゃるかもしれません。

 

Madame Henriette Puig-Roget
パリ国立高等音楽院のピアノ,伴奏,オルガンと即興,作曲等の各部門に1等賞を得て卒業。1933年ローマ大賞受賞。フランス国立放送局専属のピアニスト,オルガニストとして35年間の活動を経て,パリ・シナゴーグ教会堂及びオラワール・デユ・ルーヴル礼拝堂の正オルガン奏者を任める。1980年より東京芸大客員教授。

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