【インタビュー】「ピアニスト アンリ・バルダ」(レコード芸術 2013年6月号)聞き手・青柳いづみこ

このインタビューは、2012年7月13日、浜離宮朝日ホールで聞かれたアンリ・バルダのリサイタルの翌日に行なわれたものである。『レコード芸術』では自分がインタビューされることも多いが、今回は私が話をきくほう。2008年紀尾井ホールでのライヴCD が海外メディアで評判なので、編集部にインタビューを提案したのだ。といっても、その日の午後は自分のCD の立ち会い編集が入っていて使えない。前の晩遅かったのに悪いと思ったが、午前中のインタビューを申し入れたら、快く承知してくれた。

もはや「哲学」だった浜離宮でのコンサート

——昨夜のコンサートには感銘を受けました。音楽を通りこして、もはや「哲学」の域でした。

バルダ 本当に?

——はい、プロデューサーの若い男性を連れて行ったのです。私の隣で聴いていて、あなたのショパンのピアノ・ソナタ第2番が終わったとき、あまりにも深くて、あまりにも戦慄したので、なぜか自分は死ななければならないという気持ちになったそうです。涙を流していました。

バルダ おやおや。

——本当ですよ。すべてを超越していて、稀にしか起きないことでした。

バルダ 残念ながら、自分はその感想を共有できないんですよ。

——でも、本当に感動的だったんですもの。

バルダ たとえば、どこが?

——2回目の《高雅で感傷的なワルツ》!
 突然、すべてのものが押し寄せてきたというか、ものすごく人間的なものが流れはじめました。

バルダ ほんの2日前に和音の上の音をレガートにしなければならないことに気づいたばかりです。たとえば「ド−ファ」というメロディがあるとして、「ド」と「ファ」という別個のものではなく、ドからファが出てくるのです。もし声楽なら、喉に「ド」や「ファ」の声帯があるわけではなく、ひとつの筋肉の伸び縮みでしょう? ある音がポジションを変えることによって上ったり下がったりする。ピアノだって同じではないか、それがレガートなんだということに気づいたんです。でも、本当の意味で小指のレガートができるようになるまで、まだ長い時間がかかるでしょう。
 他にも問題があります。ラヴェルの書法を全部耳で理解して弾かなければなりません。私はまだそこまで到っていない。

(ここで思い出したのは、モーツァルト《ロンド イ短調》のバルダ自身の練習風景を目撃したあるピアニストの話だ。バルダはそのピアニストに、いくつかキーを指示してくれないかと頼んだ。原調と似すぎていないもの、あまり簡単な調子ではないほうがいい、とも。バルダが公開講座などで生徒に移調して弾かせるのはよく見かけるが、自分でも本当にその方法で練習しているのだ、とその人は思ったという。移調して弾くというのは、指から離れるということだ。指に頼らず、耳で響きをおぼえていれば、どんなキーになっても弾けるはずだ、というのがパルダの持論である。指示されたキーでロンドを弾きながら、バルダはひたすら次なる響きを予聴し、ときどき「まだわかっていない」「音がはいっていない」とつぶやく。音楽に捧げた神殿で神さまと対話しているような雰囲気だったという)

——あなたは本当に完璧主義なのですね。

バルダ 本当に偉大なピアニストは、感動的であると同時に完璧な演奏をします。

LP時代に残された貴重な録音の数々

——この雑誌はCD専門誌なのであなたのディスクについて伺います。これまでリリースされたものを持ってきました。ジャン=ジャック・カントロフさんとのディスクが手元にないのですが・・.

バルダ 1978年リリースで、リストのピアノとヴァイオリンのためのすべての作品を収録しています。《エピタラーム》というのは婚礼のための祝婚歌です。《デュオ・ソナタ》はショパンのマズルカ作品6-2をテーマにした変奏曲です。1000倍も音が多すぎて、平凡な曲想です。(バルダのリスト嫌いは有名だ。にもかかわらずこのディスクはブダペストのフランツ・リスト賞を受賞している)

——ラヴェルの《ピアノ三重奏曲》《ヴァイオリン・ソナタ》はすばらしいディスクです。元はLPだったのですか?

バルダ CDにするときなぜか《ツィガーヌ》だけ落とされてしまったのです。ヴァイオリニストは大ヴィルトゥオーゾではありませんが、優れたアイディアを持つよい演奏者で、ともに我々の《ツィガーヌ》をつくりあげたのでしたが。《ピアノ三重奏曲》は大好きですが、録音の時以外に弾いたことはありません。

——それは残念ですね!

バルダ 録音直後に、あるサロンで1楽章だけ演奏したことがあります。譜面がなかったので暗譜で弾いたんです。そうしたら、客席にマグダ・タリアフェロさんがいて、私の手首をつかみ、「あなたは音楽そのものです」と言ってくださいました。すばらしい思い出です。

——なんと光栄なことでしょう。

手を傷め実現しなかったラヴェル全集

——他にソロでもラヴェル全集をつくる企画があったのですね。

バルダ それは中止になりました。録音一週間前に、《夜のガスパール》の〈スカルボ〉で手を交差させるところで手を傷めてしまったからです。すっかり回復するまでに5年かかりました。

——5年も!

バルタ でもコーチゾンを使ってでも演奏をやめることはできませんでした。なぜなら、ピアノ・パートを担当していたジェローム・ロビンスのバレエ《ギャザリング》が初演され、非常に忙しい時期だったからです。そのころは、その仕事が非常に重要なものだと思っていました。今では、自分は大きな時間を失ったと思い始めています。

——もう一度ラヴェル全集を実現させるお気持ちはないですか?

バルダ やってみたいけれど、《ガスパール》は完全に放棄してしまったし、《鏡》はほんの少ししか勉強したことがありません。録音するとすれば、《クープランの墓》《高雅で感傷的なワルツ》など抜粋でしょうか。

——それはよい考えですね!

バルダ どうも私は、《クープランの墓》の新しいヴァージョンを発明したみたいですよ。あの発想は神から賜ったものです。(バルダはこう言って、〈プレリュード〉を弾きまねしてみせる。バルダの〈プレリュード〉は疾風のようで、あっという間に終る。そのかわり、アルペッジョで駆け上った先のトリルをペダルでのばしたまま、フェルマータを拡大解釈して長くひっぱるのである。この特異な解釈のあとに出てくる〈フーガ〉がとりわけ印象的に聞こえる)

——ショパンのソナタ集はワルシャワのショパン賞を受賞したディスクですね。第2番、第3番が1980年録音、第1番だけが89年と大分年代があいていますが。

バルダ CD化するときに演奏時聞が足りないので、頼まれて新たに第1番を収録したのです。若いときの作品で、とるに足らないものです。(ショパンの第1番はあまり演奏機会がなく、普通は非常に退屈な作品に聞こえるのだが、さすがにバルダが弾くと少しもそういう印象がない)

伝説の夜となった紀尾井ホールでのライヴCD

——2008年に紀尾井ホールでおこなわれたライヴ録音は、ご自分で編集なさったそうですね。いつもそうなのですか?

バルダ いつもではありません。ショパンのアルバムのときはエンジニア任せだったことを後悔しています。自分で編集したほうがずっとよいものになったでしょう。あとほんの何ミリメートル先か、あるいはあとで切るだけでまるで印象が変わってきます。

——編集がお好きなようですね? どのようになさいますか?

バルダ 編集作業の目的はとにかく自然に聞こえることです。あまりアイディアが見えすぎるのは好きではありません。むしろ、何もアイディアがないように聞こえることが大事です。もしゆっくりするとすれば、それはテキストがそう望んでいるので、「私」がゆっくりしたいのではありません。すべてのテイクが自然に流れるポイントがあります。それを見付けることが重要です。

——アイディアで思いついたことがあります。名古屋で行なわれた公演では、ショパン《即興曲》でパスを強調されるのがやや不自然に聞こえました。アイディアを強要されているように感じたのです。しかし、昨日の浜離宮朝日ホールの拡がりのある空間では、音楽がしっかりしたバスの上で立体的に構築されていることがよくわかりました。それは、まさにテキストが望んでいることだと感じたのです。
(ここで編集部から「すべて自分で編集することによって、より自分の理想に近づくことができるのでしょうか?」という質問が入る。)

バルダ もし、本当に霊感に満ちたパッセージがあり、それがつづくなら、もちろんつながないほうがよいです。編集の妙とは、さまざまなタイミングのさまざまなテイクを使っても、最初から最後まで通して弾いたかのような自然な流れをつくることにあります。他人がつないだディスクは、つなぎ目がわかってしまいます。

編集部 つなぎ目が「わかる」というのは、具体的にどういうことですか?

バルダ タイミング次第ですね。テンポが速くなっているところで、突然加速が止まったりでこぼこになったらおかしいでしょう? とにかく自然なカーヴを描いていることが大事です。レコードは嘘だ、ライヴ演奏にだけ真実があると考える人がいます。たしかに一理あります。たとえば、ショパンのノクターンの中間部。ステージで弾いているときは、ここには平和があります。でも、スタジオで弾くときは、その「平和」を模倣します。ステージでは、緊張したりメモリーが不安になったり、いろいろありますが、それを補って余りあるものは、我々はそのときたしかに存在しているという確信です。でも、傷がある場合は録音を編集したほうがずっとよいです。
(私は、CDと実演は別の種類の芸術だと思っている。録音は、自分のテイクを素材とする再創造の作業だ。そこには当然、音楽本来の自然な流れとか、組み合わせの妙とか、芸術的なセンスが必要となる。その演奏をどのようなコンセプトでデザインしていくか、それに添ってテイクを選びとっていく。実演の場合は、何をどう準備しようが、そのときに降りてきたもの、そのときにしかない「真実」に突き動かされてしまう)

今後の録音予定

——今後、レコーディングの予定はありますか?

バルダ ショパンの《24の前奏曲》《即興曲集》を入れる予定があります。同じレーベルからです。

——コンサートでもすばらしい演奏でしたが、新たに録音されるのですか?

バルダ スタジオ録音になると思います。たぶん、《マズルカ》も少し。

——《ノクターン》は?

バルダ 昨夜のアンコールで弾いたノクターンには満足していません。弾き始めはよかったのですが、そのあとがうまくいきませんでした。

——アンコールでは、ワルツも弾かれましたね。

バルダ 《ワルツ》のほうが《マズルカ》よりうまく行くと思います。14曲ありますが、どれひとつとして似ていません。そしてすべてが傑作です。シューベルトもたくさんワルツを書きましたが、むしろ楽しむため、仲間たちがそれで踊るためです。ショパンの《ワルツ》は紛れもない芸術品です。

——是非、ワルツ集もレコーディングしてください。

バルダのインタビューを終えた私は、タクシーをとばしてカメラータ・トウキョウのミキシングルームに行き、夜遅くまで自分のアルバム『ドビュッシーの神秘』の編集作業に精を出した。とても幸せだった。

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