「ドビュッシーの時代 」(文藝春秋 2012年12月号)

一八六二年に生まれ、一九一八年にこの世を去ったフランス近代の作曲家クロード・ドビュッシーは、今年が生誕百五十年に当たる。ブリヂストン美術館で大規模な展覧会が開かれたから、ドビュッシーの名も少しは広まったかもしれない。

しかし、かんじんのクラシック界ではさほど大々的に扱われたという印象はない。

「ラ・フォル・ジュルネ」音楽祭は、発祥地の大作曲家をテーマに取り上げなかったし、新国立劇場や二期会なども、唯一のオペラ『ペレアスとメリザンド』の上演を見送った。高尚すぎて集客に難があるというのが実情らしい。

教養主義の時代がすぎて久しい。上田敏や永井荷風の翻訳でフランス象徴詩を暗誦した世代ははるか遠く、今やフランス文学専攻ですらヴェルレーヌの名を知らない学生がいるときくし、そもそも仏文専攻の学生は激減の一途をたどっている。

ドビュッシーは幼いころヴェルレーヌとランボーの同性愛事件に遭遇し、パリ音楽院の学生時代から、デカダンの巣窟『黒猫』に出入りして、カフェ・コンセール風の歌曲を残した。長じてからはマラルメの火曜会に音楽家として唯一人出席し、ロンドン街の屋根裏部屋に詩人を招いて、みずからのピアノで不朽の名作『牧神の午後への前奏曲』を弾いてきかせたりしている。年下の友人ピエール・ルイスやポール・ヴァレリーとも親しく交友し、一時は三人で共同生活を送る計画もあった。

それぞれの名前を知る者にとっては快い驚きに襲われるエピソードも、そもそもの知識がなければ、あまり意味をもたないだろう。

さきごろ上梓した『ドビュッシーとの散歩』(中央公論新社刊)には、演奏や教育の場で直面させられた、そんなじれったい思いが詰まっている。

たとえば、誰でも知っている名曲『月の光』。タイトルのもとになった詩が収められたヴェルレーヌの詩集『雅びなる宴』は、ランボーがまだ生まれ故郷にいたころに愛読していた詩集だ。詩作に秀で、パリに出て詩人になってやろうともくろむランボーは、普仏戦争の年の夏休み、高等中学の恩師に手紙を書き、「いかにも妙ちくりんで、とても奇抜なもの」だが「ときどきべら棒に破格なところ」があるから、是非この書を読むようにとすすめている。

やはりこの詩集に魅せられたドビュッシーは、ごく若いころから、詩集中の詩を選んで何曲もの歌曲を作曲している。『マンドリン』『ピエロ』『パントマイム』。

ベースは十六世紀イタリアに発し、十八世紀のフランス宮廷で流行した即興仮面劇。コロンビーヌに恋こがれているのに、いつもアルルカンに先をこされるピエロ、こっけいな身ぶりや仮面仮装の下にある悲哀。

フランス革命から一世紀。十九世紀末の文人たちは、フランスがもっとも輝いていた時代に思いをはせ、甘美な詩句に彼らの屈託をしのびこませる。

『月の光』のメロディやハーモニーの端々にも、倦怠や無力感がにじみ出ている。背景を知らなければ、演奏するほうも聴くほうも「きれいな曲」ですぎてしまうかもしれないが。

2012年12月27日 の記事一覧>>

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