喪失にまつわる人模様を
なんでもペアで買う癖、というエッセーを書いたことがある。セーターやTシャツ、パジャマや靴下、スカーフやショール、そして指輪。
どうしてそうなるのか、うまく分析できない。使って傷むのが嫌なので、スペアを買っておくと安心するという心理(もう片方はたぶん、未来永劫(えいごう)使用しない)だろうか。
本書に収録された「ずっと雨が降っていたような気がしたけれど」の主人公の場合は、「とろりとした、繊細なブラウス」。同じ色の同じサイズのものを2点買う。ひとつは実際に使うため、ひとつは喪失にそなえるため。
彼女には兄がいて、「もうやめなよ、こういうの」と言いながらはさみでブラウスの1枚を刻んでしまう。彼女は2度男とつきあったことがあるが、喪失を恐れるあまり深入りできず、彼らが去っていくのを黙って見ている。
『ぼくの死体をよろしくたのむ』という、いささか物騒なタイトルをもつ川上弘美の短編集では、こんなふうに喪失にまつわるさまざまなケースが描かれる。
「なくしたものは」の主人公は、毎朝「なくしたものが見つかるように」とおまじないを唱える。でも、友達に男を取られかける。取り戻すと、今度は友達をなくす。
喪失を恐れるというのは、独占欲のネガティブなあらわれ。喪失を防ぐ最も良い方法は、その人を記憶の中に閉じ込めることかもしれない。
冒頭に置かれた「鍵」の主人公は、公園裏の神社に棲(す)む路上生活者に恋をする。ズダ袋の中には、必要のないはずの鍵が入っていて、彼女はそれをもらう。土日に会い、静かな時間を過ごす関係が続いて3年、男は突然姿を消す。
「その人が違う場所にいる姿を想像しても、わたしの中に嫉妬や心の揺れがわきおこることはない」と彼女は言う。
「けれど、わたしの持っている鍵を使って、わたしの知らない扉を開けていることを想像する、その時だけは、わたしの心は熱く熟してふるえる」という一節は、どんな濃密な恋愛小説のワンシーンより濃密に、感じられた。(小学館・1500円+税)
評・青柳いづみこ(ピアニスト、文筆家)