【エッセイ】「ショパン・コンクールとシャルル・リシャール=アムラン」

「シャルル・リシャール=アムラン ピアノ・リサイタル」プログラム
2016年5月23日 オペラシティ・コンサートホール

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シャルル・リシャール=アムランの特徴をひとことで表すなら、人間的な魅力に満ちたピアニスト言うことができるだろう。

第17回ショパン・コンクールは、若者パワーが炸裂したコンクールだった。優勝したチョ・ソンジンと3位のケイト・リウは21歳だが、4位のエリック・ルーは17歳、5位のトニー・ヤンは16歳。リウ、ルー、ヤンと3名の入賞者を出したダン・タイ・ソンの名伯楽ぶりも話題になった。

アムラン自身、自分のように年寄り(コンクール時は26歳)で有名な先生に習ったわけでもなく、ルックス的にもスター性はなく、練習曲を完壁に弾くようなヴィルトゥオーゾでもない(彼は体格のわりには手が小さい)弾き手が成功したことは、あとにつづく人達に勇気を与えるかもしれないと語っていた。

ショパン・コンクールは特殊な場である。曲目を選べるとは言っても同じショパン作品ばかりで、技術的にもさほど差がつかないとなれば、解釈勝負になる。ルバートを多用したり、極端に速く、あるいは遅く弾いたり、思ってもみない声部を浮かびあがらせたり、凝った解釈が多かった中で、アムランの演奏は「自然さ」という点で群を抜いていた。

人間の普遍的な感情のうつろい、誰もが人生の中で体験してきたことに照らし合わせて一緒に気持ちを揺らしながら聴けるとでも言おうか。口で言うのは簡単だが、それを十全に楽器に託し、聞き手の心に届けるのは容易なことではない。

すでに4月の予備予選の段階から、審査員たちはアムランの音楽力に注目していた。必ずしもコンクール向きではないと思われる『バラード第3番』で見せた絶妙なリズム感、粋な表現は一味もふた味も違っていた。

アムランは、自他ともに認める晩成型である。5歳から18歳まで、ルーマニア出身のピアノ教師にじっくりと育てられた。『音楽の友』のインタビューで彼は、「彼はハノンを使って基本的な音階から丁寧に教えてくれましたが、それは必要最小限で、いつも音楽の想像性と創造性を大切にしてくれました」と語っている。

最も影響を受けたのは、モントリオール音楽院で師事したアンドレ・ラプラントだという。78年のチャイコフスキー・コンクールでプレトニョフについで2位に入賞したピアニストだ。ラプラントは、コンクールで勝つための傾向と対策を練るかわりに、「自分自身になる方法」をアムランに授けた。

「彼のおかげで自信を持って、自分自身の音楽をつくっていければいいのだと思えるようになりました」とアムランは筆者によるインタビューで語っている。「何も恐れず、何も心配せず、自由に音楽に向き合えるようになったのです。人が私の演奏をどう思うかということは気にならなくなりました」

24歳で人生ではじめた受けたソウル国際コンクールで、第3位とベートーヴェンのソナタ賞を得た。ベートーヴェンのソナタは2次予選に残った24人全員が弾き、12人のセミ・ファイナリストの発表と同時に自分にソナタ賞が与えられたので驚いたとアムランは語っている。それで少し自信がつき、モントリオール国際を受けたところ第2位にはいった(このとき、ケイト・リウもファイナリストになっている)。

アムランのバランスのとれた音楽性は、室内楽を通して身につけられたものだ。大学では、著名ではないが相性のよいアーティストとたくさん共演した、と彼は言う。そこで、フレージングや曲の構成について多くのことを議論し、楽器ごとの違いを知り、音楽について学んでいった。そのことが、彼の音楽を人間味のあるものにし、同世代のコンテスタントに比べてはるかに老成したパースペクティヴ能力を磨かせたのだろう。

たとえば、とアムランは語る。

ショパンの『幻想ポロネーズ』はすばらしい作品だが、最初に弾いたときは、それぞれの魅力的なフレーズにいちいち立ち止まってしまい、まとまりがつかなくなった。それでよく考えて、そのうちのいくつかはあまり重きをおかずに弾くことにした。何回か演奏のチャンスがあるときは、そのつど強調する部分を変えている、と。

ペダリングもアムランの演奏を間近で聴いていた調律師が舌を巻いた。右のペダルはみな微妙に上げ下げするが、アムランは左のペダルも同じように操作していたという。具体的にどうしたのかときいてみたところ、ワルシャワのホールは大変響きがよいので、無理して大きな音を出す必要はない、むしろ弱音でいろいろ表現すべきだと思ったとのこと。使用したヤマハのCFXはペダルの実にデリケートな操作を可能にしてくれたので、とりわけ『ソナタ第3番』の緩徐楽章で細かく踏んだとのこと。

アムランがショパン・コンクールで「ソナタ賞」を得たひとつの要因は、この微細なペダリングから生まれる色彩の綾だったにちがいない。

第1次、第2次予選ではどちらかというと軽めの作品を選び、洒脱な魅力を強調してきたアムランだが、セミファイナルの『ソナタ第3番』で初めて底力を見せたと思った。第1楽章では、ソウル国際コンクールで認められた優れた構築性が遺憾なく発揮された。テンポをおさえてチャーミングに弾いた第2楽章。ゴンドラのリズムにのってしなやかに歌い、夢のよう美しかった第3楽章。ドラマティックなフィナーレは、それまでのラウンドにみられないスリリングなテンポで弾きすすみ、客席を興奮の坩堝におとしいれた。

ショパン・コンクールは、次のラウンドに進ませるかどうか各審査員が「Yes」「No」で判定する。第2次、第3次予選でただ一人「Yes」が満票だったアムランは、ファイナルでは一人だけ『ピアノ協奏曲第2番』を選んだことで結果的に第2位となった。

協奏曲も合わせものだから室内楽の要素がある。とりわけ2番はオーケストラとの親密なかけあいが要求されるが、ヤツェク・カスプシク指揮ワルシャワ・フィルハーモニーは準備が充分ではなく、アムランは音楽的な範囲でテンポを提示したりアインザッッを送るなど、副指揮者のような役割を担うことを余儀なくされた。アムランの繊細でしなやかなピアニズムは2番にぴったりで、第3楽章の哀愁ただようテーマ、民族舞踊の自在さなどすばらしかったが、全体にややソロのときの伸びやかさを欠いたようにも思った。

優勝者のチョ・ソンジンも指揮者と呼吸が合わなかったが、終始自分のペースを貫き、うむをいわせぬ力でオーケストラを圧倒した。常に他者とともに音楽を分かち合おうとするアムランのような弾き手とは、良い悪いではなく違う資質なのだとつくづく思う。

しかしこのことは、アムランのキャリアにはむしろ幸いするのではないだろうか。

筆者がインタビューした審査員の一人ディーナ・ヨッフェは、近年、ショパン・コンクールの入賞者たちが思ったほどの音楽的な成長をみせていないと心配していた。栄冠を得てすぐにたくさんのコンサートに出演するあまり、自分を見失ってしまうケースもみられるのだという。アムランにも多くのステージが押し寄せているが、室内楽ですぐれた音楽力を養った彼には無尽蔵の引き出しがあり、枯渇することはあるまいと思う。

十年先、二十年先…と聴きつづけていきたいピアニストだ。

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