【連載】「青柳いづみこの指先でおしゃべり 第6回 ショパン・コンクール記者会見にて」(ぶらあぼ 2015年3月号)

1月28日、ポーランド大使館で開かれたショパン国際ピアノ・コンクールの記者会見に出席した。今回はこの話題を。

ワルシャワからコンクール主催者の国立ショパン研究所所長のシュクレネルさん、同副所長のマルフフィッツァさんが来日し、挨拶した。

第17回を迎える今年は、世界各国から455名が申し込み、書類DVD審査を経て160名が春の予備予選に臨む。そこで約半数に絞られ、ようやく秋の本選に出場することができる。今年は、ここに主要コンクールの上位入賞者などの予備予選免除者も加わる。なんとまあ、狭き門ではないか。

日本人の申し込みが一番多くて88人。次いで中国の77人、地元ポーランドが56人とつづく。日本は、2005年のときは2名の入賞者を出したのに、前回のコンクールでは誰も第3次予選にすすめず、ピアノ教育関係者にショックを与えた。

シュクレネルさんは、日本とポーランドの文化は繊細さという点で共通しており、それはショパン演奏にも確実に活きてくるはずだと語っていたが、やはりそれだけではコンクールは戦えない。2010年のときは、強靱なテクニックと深いテキストの読みで一味も二味も違うロシア勢に吹き飛ばされてしまった感じだ。

会見では、解釈の伝統と革新性についても質疑応答が交わされた。不思議なことに、これだけ世界中で愛され、演奏されているのに、”これぞ本物”と思えるショパンにはなかなか行きあたらない。楽器を見事に弾きこなすだけでも歌って弾くだけでも、テキストを詳細に研究するだけでも斬新な解釈をするだけでも足りない。すべてを兼ね備え、しかも作品をたった今生まれたような新鮮さで演奏する人に出てきてほしいものだ。会見終了後、審査員の一人である海老彰子さんのミニ・リサイタルが開かれた。パワフルかつ繊細で、ショパン演奏のひとつの在り方を示すような、実にすばらしい演奏だった。

演奏前、海老さんは、「ショパンの音楽には、政治情勢に翻弄されて祖国を離れなければならなかった彼の心情が反映されている」とコメントしていた。その言葉の通り、傷ついたショパンを包み込むような息の長いフレーズ、ときに激しく情熱的に、ときにメランコリックに描き出されるノクターンやバラード、スケルツォの演奏に、客席はすっかり魅了されてしまった。

海老さんがショパン・コンクールに出場したのは、ポゴリレチ事件で揺れた1980年。本選の協奏曲は、その余波を受けて演奏に集中できる状況ではなく、初の優勝を願っていた日本にとってやや残念な5位という結果となった。しかし海老さんは、少しも努力を怠ることなく、自分自身と音楽に真摯に向き合い、数少ない入賞者としての数多くの責務に追われながら、着実に歩みをすすめてきた。

コンクールは受けるのも大変だが、その後の継続、精進のほうがさらに大変だ。2015年のコンテスタントたちも、目先の成功、失敗に左右されることなく、自分なりの表現と活動形態を見い出していくようにと、そっと祈った。

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