1971年からの東京工業大学大学院時代の恩師、故青柳茂教授は、父がフランス文学者で井伏鱒二や太宰治など数多くの文人と交流のあった瑞穂氏。娘はドビュッシー研究の第一人者でピアニスト、文筆家として活躍する、いづみこさんだ。
化学が専門の青柳先生は妥協を許さぬ厳しい人だった。だが、研究を離れると学生との娘しく付き合い、しばしば阿佐谷の自宅に集めて飲み会を開いた。「(子供のころに)井伏鱒二から教わった」という将棋の相手もさせられた。東京芸術大学ピアノ科に通う、いつみこさんも顔を出した。
私はよく先生宅に泊まったので家族とも交流があり、彼女がフランス、私が米国に留学すると、手紙のやりとりもした。帰国後、函館大で教職に就いていた1988年、先生の奥様から手紙が届いた。「返事はいらないから」とあり、不安を覚えながら読むと、先生が米国での旅行中にバス事故で亡くなったという。すぐ上京し、2人からいろいろと相談を受けた。
その後も、いづみこさんと家族ぐるみの付き合いを続けている。祖父の血を受け継いだのか、彼女は芸大時代、音楽を学ぶ傍ら童話を書いて自費で出版していた。組織に縛られず、やりたいことをするところは先生と共通しているように思う。
(みぞた・はるお=函館大学学長)