「Merdeなお掃除問題」(ふらんす 5月号)

フランス語、始めたのは早かったんです。芸大の附属高校というところに入学したんですが、ここは「演奏家の卵」養成所でして、在学中に留学したり国際コンクールを受けたりする生徒もいるぐらい。

何と、1年生から第2外国語がありました。ドイツ語をとる子が大半で、フランス語はほんの数人でしたけれど。

学校はお茶の水にあったので、アテネフランセにも登録はしたんですが、ほとんど行かなかった。当時の芸高はとんでもなく風紀の乱れた学校で、制服を着て真面目に授業に出ているのはごく一部の生徒。みんなお化粧して私服を着てきて、授業の真っ最中に練習室や屋上でデートしてる。私にもボーイフレンドができまして、放課後もアテネに行くと称してデートのつづきをやっとりました。

2年の夏休み、エリュアールの”Grain d’air”という童話を翻訳する宿題が出て、これは楽しかった。鳥のように飛びたいと願って、腕とひきかえに翼を獲得する女の子の話です。空を飛べるようになった彼女を子供たちが見上げるシーンで、”le nez en l’air”という表現がわからず、まだ存命中だった祖父の青柳瑞穂に手紙で訊ねたのを思い出します。

そのころ私は童話を書いていて、目茶苦茶文章に凝る方だったので、翻訳も目いっぱい意訳して提出しました。祖父はできたら見せろ、と言っていたのですが、何となく気がひけて見せませんでした。祖父は常ひごろ、翻訳とは自分を無にすることだ、文体もテキストに合わせて変えていかねばならない、と言っていたので。そんな祖父の翻訳だって、実はけっこう意訳が多かったんですけどね。

芸大の入試もフランス語で受けました。当時の国立大にはセンター入試なんぞというものはなく、演奏科の受験生は国語、外国語、社会の三枚で百点をとればよい、ときかされていました。ちなみに、社会では「ヘレニズム文化について書け」という問題が出て、全然書けなかったおぼえがあります。和文仏訳の問題を出したのは斉藤一郎先生。主人公の「ぼく」が喫茶店で女の子と待ち合わせをしているけど、彼女はいつまでたってもあらわれないというお話で、毎年連作になっていたとか。相手の女性の名前は斉藤夫人と同じ。入試問題で私小説書くな。

芸大の音楽学部には、作曲科や演奏科の他に、音楽学を専攻する楽理科があります。語学も、会話だけでよい我々とは違い、原典を読まなければならないのでレヴェルが高い。ちょっと背のびしてこの楽理科の授業をとってみたのですが、1年目からジオノの「木を植える男」とかを読んでいて、チンプンカンプン。ブーレーズやドビュッシー書簡集の翻訳で知られる笠羽映子さん(現早稲田大学教授)の名訳を感嘆してきいているばかりでした。

結局、私が目の色を変えてフランス語をやり出したのは、修士課程を終えて留学するまでの半年間。アテネのCREDIFに週3日通って、耳を特訓しました。受講生の多くは東大や学習院の現役の学生さん。瞬発力がまるで違う。それでも、現地そのままのスピードで流されるフィルムの会話を繰り返し聞くうち、少しずつ慣れていきました。先生はマルセイユ出身の男性でチョー女好き。リンガホンとか聞いている女の子の胸をもんだり。私は貧乳なのでもまれませんでしたけど。

その後、当のマルセイユに留学したのですが、街にはアテネの先生と同じようにいい加減でエッチな男で溢れていました。音楽院の先生からしてそうで、ピアノ教えながら美人ちゃんの生徒を膝にのっけてるんだもん。パリに留学した人にきくと、普通ピアノの先生は生徒とvousvoyerすると言うけど、この先生はいきなりtutoyer。しかも、まあ、お言葉使いのよろしいこと。”Merde!”(糞ったれ)や”je m’en fou!”(関係ない)を連発し、”con”(女陰・転じて間抜け)とか”mec” (娼婦のひも・転じて奴)、”pipi”(おしっこ)”caca”(うんこ)とか・・。その方面の語彙は飛躍的に増えました。

土地のなまりも、完璧に身につきました。何しろ音楽家だから、耳がいいんですよ。南の人は鼻母音を横に平たくのばします。「セ・ビエーン」とか「メントゥナン」「センカントセンク」とか。3年間マルセイユにいたあと、1年だけパリ16区のやんごとなきマダムの家にお世話になっていたのですが、きっとすごい娘が来たと思ったろうなぁ。

それでも、フランス語のためには、日本人がほとんどいないマルセイユはいい留学地でしたね。とくに最初の2年間は、日本語を全くしゃべらなかった。大きなアパルトマンを借りているアルメニア人の女の子から、さらに一部屋をまた借りして、ピアノを置いて住んでいました。

お掃除問題というのがありまして、やり方がことごとく違う。洗い物ひとつとっても、日本では洗剤をスポンジにつけてこすっていたのに、向こうはたらいに洗剤を薄めた溶液を入れて、それにつけこむ。だいたい、日本には石の床なんてものがないから、ワックスのかけ方なんて知らない。それを同居人がいちいち口うるさく指摘する。ケンカしても口ではかなわないから、せっせと手紙を書きまくりました。同居人がまた、いちいち間違いをなおしてくる。それで、仏作文も少しは上達したというわけ。

やっぱり、習うより慣れろですね。

2003年5月20日 の記事一覧>>

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