最高に面白いオススメの一冊
『グルダの真実』クルト・ホーフマンとの対話
田辺秀樹訳
グルダの弾くベートーヴェン『ワルトシュタイン』の爽快な演奏を聴きながらこの原稿を書いている。
本書は、オーストリア放送協会のディレクター、クルト・ホーフマンが一九八〇年から一九九〇年にかけて行ったインタビューをまとめたものである。グルダのモノローグの形をとっているが、あたかも読者一人一人に語りかけているような親密な調子は、田辺秀樹の名訳によるところが大きいに違いない。
のっけからグルダは、「俺が存在している、っていう事実そのものが、多くの人々にとっては一つのスキャンダルなんだ」と切り出す。「まあ普通なら、モーツァルトとかベートーヴェンを弾いて、その二時間後にジャズ・クラブに行く、なんてことはしないさ」
そういう人は、けっこういるんじゃないか、と思う。たとえばサンソン・フランソワは、本番のあとは必ずジャズ・クラブに行き、明け方まで過ごした。グルダはジュネーヴ・コンクールを受けに行ったとき、宿泊先でジャズに熱中する子供たちを見て、最初は違和感をおぼえた。それからジャズを「学習」し、自分もセッションするようになった。最後まで、決してうまくならなかったらしい。いや、むしろクラシック的な意味でうますぎたらしい。フランソワはもっとずっと天然だった。ジャズは彼の体内に染みついていた。
問題はだから、そういうことではなくて、どうしてグルダがジャズに熱中しなければならなかったかというところにある。現代音楽に失望したからだという風評は、彼自身が否定している。逆だ、ジャズをやるようになってから、現代音楽に疑問を抱くようになった。つまり、もっと生きたリズム、生きた旋律、血の通った音楽を欲するようになった。
私は、ひとつにはグルダは、まだ何かすることを見つけたかったんじゃないかと思う。クラシックでは、彼はあまりに能力がありすぎた。ジュネーヴ・コンのとき、たった十六歳で、もう神の降りてくるような演奏をしてしまった。二十三歳のときに八曲のベートーヴェンのソナタをマスターしていた。それから、たった三ヶ月で残り二十四曲をモノにした。あんなに才能のある人には会ったことがない、とアルゲリッチは言う。その通りだと思う。でも、ジャズには才能がなかった。だから、することが沢山あった。これは、精神衛生上とても大切なことなんだ、きっと。
クラシックのピアニストとしてのグルダは、破天荒な演奏家として知られるが、その演奏は、完全に文法に則っている。彼自身、十二音技法についてこう書いている。「以前は根音とか中心音とかいう、広い意味での調性というものがあった。そういった音の序列の原理は、もとはといえば、そう、神の国の序列を投影したものなんだ」
グルダの中には、神の国の序列が刷り込まれている。ウィーンという伝統の街で生まれ育った「超優秀」な生徒の宿命として。でも、その「伝統」は硬直していない。原理や原則でがんじがらめになっていない。グルダは、きっとモーツァルトはこんな風に即興演奏したに違いない、とか、ベートーヴェンは「楽聖」なんかじゃなくて、とても面白いオッサンだったに違いない、と思わせるような演奏をする。
グルダを通して、硬直して無機的なものが──演奏にしても作曲にしても──もてはやされた時代のゆがみが見えてくるようだ。
負けず劣らず面白い2冊
『リヒテルは語る』ユーリー・ボリソフ著宮澤淳一訳
いやはやすさまじい本である。演出家の卵である著者が、縦横無尽にくり出されるリヒテルの「語り」を、色彩や匂いまでも蘇らせる。ピアノの弦は人間の血管。マンドラゴラの根はショパンに似ている。連想は、とどまるところを知らない。あらゆる書物、絵画、演劇、奇想天外な夢の引用が、モンスターの意識の奔流に読者を引きずり込む。
『オペラに連れてって!』許 光俊著
痒いところに手が届くどころか、届きすぎて妙な痛痒感が味わえる本。普通の解説書のように、オペラはすばらしいもので絶対に好きになるべきだ、と決めつけず、「オペラのどこが普通の人にはわかりにくく、つまらなく、抵抗があるか」を指摘しつつ、ポイントはきちっとおさえてくれる。皮膚感覚に訴えるストーリー紹介とイラストは抱腹絶倒。