【連載】「花々の想い…メルヘンと花 3」(華道 2004年3月号)

ゲーテ・詩 モーツァルト・曲「すみれ」

「すみれが一輪、背をかがめてひっそりと野に咲いていて、それはとてもかわいらしいものでした」(木村能里子訳)

ゲーテの詩によるモーツァルトの歌曲「すみれ」は、こんな一節にふさわしい、可憐 な歌い出しではじまる。やがて、足どりも軽く羊飼いの娘がやってくる。ピアノの伴奏は、彼女が口ずさむ歌を楽しげにふちどる。

音楽が悲しげな調子に変わるのは、すみれが「ああ」と大きなため息をつくところか らだ。「ぼくの大好きな彼女がぼくをつみとって胸にだきしめてくれるまで、そう、た った十五分ほどでいいから、この世で一番きれいな花でいられたら!」

すみれの願いもむなしく、羊飼いの娘は花に気づくこともなく、無残に踏みつけてしまう。首うなだれたすみれは、しかし、案に相違して、喜びに満たされて死んでいくのだ。彼女に踏まれて、彼女の足もとで息たえるなら本望だ、とつぶやきながら。

二十歳でハンセン病を発病し、二十四歳で亡くなった北条民雄にも、「すみれ」とい うメルヘンがある。ゲーテのすみれは男性だがこちらは可憐な娘。音吉じいさんの庭の片すみで、淋しそうに咲いている。じいさんが近寄ってみると、花びらは澄みきった空 のように青く、宝石のような美しさだった。

おばあさんを亡くし、深い山の奥でたった一人で暮らしていた音吉じいさんは、わび しい山の生活が嫌になり、息子を頼って町に出て行こうとしていたが、何となくすみれ のことが気になって、出発を一日のばしにする。

毎日すみれのところに行って、水をかけてやると、すみれはうれしそうにお礼を言い 、ますます美しく、清く咲きつづけた。

お前はこんなに美しいのに、誰も見てくれない山の中で咲いていて悲しいだろう、動くこともできなくて、面白くないだろう、ときいても、すみれはいいえ、と答える。

体はどんなに小さくても、広い青空も、そこに流れる白い雲も、毎晩砂金のように光る星も見える。こんな体で、どうしてあんな大きな空が見えるのだろう。そのことだけで、自分は誰よりも幸福なのだ。

それをきいた音吉じいさんは、町に行くのをやめて、すみれと一緒に澄んだ空を流れ る綿のような雲を眺めて暮らした。

同じようにひっそりと咲きながら、この世で一番美しい花になりたいという野望を持 っていたゲーテのすみれと、自分の美しさを信じて、ささやかな存在のまま誇り高く生きていこうとする北条民雄のすみれ。

どちらも、野の花なのにどこか貴族的という、すみれのイメージにぴったりではないか。

2004年3月19日 の記事一覧>>

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