【書評】中山可穂 著「弱法師」(週刊現代 2004年3月20日号)

タブーを秘めた愛のかたちを能の世界の「妖しさ」に重ねて

中山可穂は、異形の愛を描いて魅力のある作家だ。それも、同性愛、両性愛、近親相姦などステレオタイプ的な区分けではなく、クロスオーバー、あるいは潜在的にとどまっているところも含めて、微妙な心理の綾を描き出す。

三つの作品には、それぞれ能の演目からとった象徴的なタイトルがついている。「浮舟」は、「源氏物語」の「宇治十帖」に登場する女性。薫大将と匂宮の間で苦悩する。

中山版「浮舟」の三角関係は、碧生と名づけられた少女の目を通して語られる。薫子おばさんという父の姉は、宝塚の男役のような美人。体の弱い母にかわって家族の面倒を見るため、碧生が小学校に上がるまで同居していた。

碧生は五歳ぐらいのころ、両親と薫子おばさんが「静かだけれどもひそやかな狂気を感じさせる曲」を合奏していたのをおぼえている。薫子おばさんのピアノ、父のチェロ、母のヴァイオリン。あとで、シューベルトの『ピアノ三重奏曲』だったと知った。

のどかな家庭音楽会の風景だが、碧生はなぜか、漠然とした不安を感じとっていた。中断してはいけない、と思いつつ、「わけのわからない不安がひたひたと細胞のなかに忍び込んでくるこのおそろしい空間を今すぐぶち壊したい」という衝動にもかられた。

この導入部はとてもうまい。碧生十七歳の夏、薫子おばさんがふらっと帰ってくる。五歳のときの予感が、少しずつ現実のものになっていく。

薫子と海岸を散歩しながらかわす会話は、甘く、せつない。薫子ちゃんの十七歳ってどうだった?恋をしてた。あんなに誰かを好きになったことはなかった。相手の名をきく勇気が、碧生にはない。
やがて母が亡くなり、それをきっかけに驚くべき家族の秘密が明らかになる。

「卒塔婆小町」は、高野山の僧が京に上る途中で老いた小野小町に出会う話である。
中山版の小町は、百合子というホームレスの老女。新人賞をとったあと鳴かず飛ばずの作家高丘がゴミ箱に捨てた原稿を拾い読み、的確なチェックを入れる。百合子は、その昔小町と騒がれ、深町遼という作家をスターダムに乗せた伝説の名編集者だったのだ。

高丘は、接待で高級ワインを飲みまくり、すっかり舌が肥えてしまった百合子のためにブルゴーニュの赤を差し入れ、彼女と小説の話をする。

墓場から蘇ったばかりのゾンビのような老婆だが、「分厚い雲間からひとすじの光がサーッと射し込む瞬間のように、物事の本質が一瞬だけ透けて見えることがある」。

ワインが喉元を滑り落ちていく刹那にほのかな桃色に染まる耳たぶ。難解な批評言語がシャンソンのように飛び出す小さな唇。原稿のページをめくるしなやかな指先。

こうした微細な描写は、中山可穂を読む愉しみのひとつだ。
作家と編集者ものはよくある設定だが、作家=女性、編集者=男性のパターンが多いところ、まず性が逆転し、百合子のセクシャリティにもひとひねり加えられている。

能の「弱法師」は、家から追放された悲しみから盲目になり、天王寺周辺を放浪している。小説の方の朔也は、悪性の脳腫瘍で光を失いかけている絶世の美少年である。

主人公の鷹之は、大学病院に勤める脳神経外科医。朔也の治療にあたり、母親の映子に会ううち、親子の水際立った美しさに烈しくひかれた鷹之は、妻と離婚し、病院も辞め、朔也のために完璧な設備を整えたクリニックを開く。

映子と結婚した鷹之は、彼女との爛れた性生活に溺れるいっぽうで、朔也にも義理の息子以上の感情を抱く。映子は「あの子は時々、女の目であなたを見る」と言う。

プロットは面白いが、前二作に比べてリアリティに欠けるように思われるのは、主人公が医師というきわめて論理的な職業に携わっているからではないだろうか。作家と編集者の関係では十分ありうると思うことも、医師と患者では首をかしげてしまう。「日本で三本の指に入るスペシャリスト」ならなおさらだ。

いっぽうで、朔也のキャラクターは異彩を放っている。鷹之とは対等に接し、ときにぞっとするような早熟さや残忍さをみせる少年が、ネットで知り合った、やはり障害者の少女とは、大正時代の少女小説のような感傷的なやりとりをする。このギャップは、案外今の若い世代を象徴しているのかもしれぬ。

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