天使のピアノ
天使のピアノをご存じだろうか? 日本初の知的障害児施設・滝乃川学園に所蔵されている、日本最古級のアップライトピアノである。 学園の創設者夫人・石井筆子がお輿入れの際にもってきたもので、前面に天使像のレリーフがあることから、この名で呼ばれている。
長く打ち捨てられていたが、学園史研究会のメンバーによって発見され、日本ピアノ調律師協会によって鑑定され、1998年に修復された。 父違いの兄が学園にお世話になっている関係から、お披露目のコンサートの折りには私が弾かせていただいた。
リハーサルで試してみたところ、ペダルを踏まないのに音がぽろーん、ぽろーんと糸を引くように残る。壊れているのかと思って調律師さんにきいてみたら、オーバーダンパーといって特殊な機構なのだそうだ。
音はとても小さいけれど、何とも言えない甘い響きがする。大正琴のような音色だから、アルペジオ系の楽曲が似合う。ベートーヴェンの『月光』や『エリーゼのために』、グノーの『アベ・マリア』。
つい先ごろ、天使のピアノでCDのレコーディングをした。
滝乃川学園の礼拝堂に機材とマイクを持ち込み、ピアノがなじんでいる空間の中で録音したら、とても気持がよかった。
天使のピアノは音が長く残るので、フレーズが終わるまで、ずっと待っていなければならない。その待っている時間が、音楽に必要な”間”を生んだ。
私はせっかちで、ともするとテンポが速くなってしまいがちなのだが、天使のピアノを弾くときはとてものんびりやさんになって、自分の出す音をよく聴くことができる。
ときどき、指だけが先走りしてしまうと、天使のピアノにやんわりとたしなめられているような気がした。
天使のピアノ、ありがとう。あなたのおかげで、私は少し立ちどまって考えることを学びました。