二枚目俳優 素の語り口
東日本大震災が勃発したとき、私は成田上空にいた。機内で「関東地方に震度7の地震」という誤報が流れ、すわ、関東大震災の再現かと客席はパニックになった。
昨年十月に亡くなった池辺良さんは、五歳と七ヶ月で関東大震災を経験しているのである。台所の前にある井戸で遊んでいたとき、足もとをすくわれて尻餅をついた。
「動くはずもない地面が揺れ、目の前の無花果の太い木が左右上下に振り回され、バケツの水が暴れ狂って飛び散っている」
両親に助けを求めたが返事はなく、家から飛び出てきた父親は、縁側の柱にしがみつく母めがけてダイビングしたが、ぬかるみにはまってすってんころりん。「不器用に立ち上がり、縁側に取りついた」あたり、瓦がとびかう状況下にもユーモアのセンスがのぞく。
洋画家の父は神田生まれの下谷育ちという江戸っ子の典型。陸軍に入隊する息子に、お前は俺の血を引いて妙に律儀なところがある、くれぐれも死に急ぐな、とさとす。その語り口が落語の熊さん、八っつぁんそっくりでほのぼのと心地よい。
池辺さんといえば食のエッセイで知られた。遺稿集となった本書にも、「四季の味」や「銀座百点」に連載していた文章が収録され、駒形のどぜうとか、銀座のオリンピックとか、なつかしい名前もたくさん出てくる。
しかし、時節がらどうしても目が吸い寄せられるのは、戦時中の体験談である。昭和十九年、南方に向かう輸送船に魚雷が命中したときの「迫りくる黒い水」や、南の島でのサバイバル生活が、簡潔にして喚起力豊かな文章で描写される。
復員した池辺さんは、東宝映画で二枚目スターとして活躍することになる。銀幕での池辺さんはいつもやわらかな微笑みを浮かべ、飄々とした雰囲気を漂わせていた。生々しいところのない役者さんだったが、あの静かなたたずまいの裏にこんなすさまじい体験があったのかと、今さらながら手を合わせたくなる。