【書評】小野光子 著「回想 音楽の街 私のモスクワ」(東京新聞 2011年5月15日)

私は、芸大大学院修了後、オペラの稽古ピアノのアルバイトをしていたことがある。演目はチャイコフスキー『エウゲニー・オネーギン』で、 主役は本書の著者小野光子氏。年譜を見ると、 戦後初の上演だったらしい。

小野氏が日本のうたごえ運動の創設者・関鑑子氏の息女であることは何となく知っていた。しかし、西側初のモスクワ音楽院留学生だったこと、4年に一度しか開かれないチャイコフスキー国際コンクールで3度も審査員をつとめたことは、本書で初めて知った。

小野氏がモスクワ音楽院の声楽科に入学したの1956年、スターリンの死直後の「雪解け」時代だった。「銀の笛」のような声を大切に育てようと、稽古ピアニストも含めて週6回もの指導を受ける。ちなみに日本での声楽レッスンは週に1度。ロシアの教育法が国際舞台の注目を集めるのはずっと後のことだが、さもありなんと思う。指導教官は、名ピアニスト、リヒテル夫人のニーナ・ドルリアク。日本にもファンが多いリヒテルのほほえましい日常や、来日時の模様がつぶさに語られるのも、本書の魅力のひとつである。 

1960年に卒業した著者は、65年から3年間、タタール、コーカサス、中央アジアまで、旧ソ連各地を演奏旅行している。民族紛争で耳目を集めるチェチェンも、外国人立ち入り入禁止だった鉱山も含まれ、記録としても大変貴重である。 

しかし何といっても本書の読みどころは、チャイコフスキー・コンクールの記述だろう。このコンクールでは中村紘子の名著があるが、小野氏はさらに直截に、神秘のヴェールに包まれていた共産圏のコンクールの内情を明かしてくれる。1927年生まれの著者の感性は少女のように瑞々しく、今後も旧ソ連と音楽の語り部として健筆をふるってほしい。

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