「リヒテル ピアノを超越した唯一無二のピアニスト」(The CD Club 2011年2月号)

天才の保有する表現能力

2010年秋、ワルシャワでおこなわれた第16回ショパン・コンクールは、稀にみる激戦となった。優勝したロシアのアヴデーヴァさんはじめ、6名の入賞者は誰が勝ってもおかしくなかったという。逆を返すと、それだけ抜きんでた存在がいなくなったということが言えるかもしれない。

ピアニストが小粒になったのは、教育システムが確立されすぎてしまったからではないかと思うことがある。とりわけ、リヒテルの弾くシューマン『幻想曲』(名盤の誉れ高い1961年の録音)を聴くと、そう思う。

そこにはすべてがある。哲学的な瞑想、ヒロイックな感情、激しさと優しさ、ロマンティシズムと古典的な構成感、暴力的なフォルテと繊細なピアニッシモ、大きな感情のうねり、細かな心理の綾、息の長さ……。何よりも、圧倒的な音楽の推進力。

天才の保有するどはずれな表現能力は、正反対の方向にふれつつ、聴き終えてみるとちゃんと起承転結ができている。教えて教えられるものではない。

リヒテルは22歳になるまで正規の教えを受けなかった

リヒテルを生んだ旧ソ連は強固な音楽教育システムで知られるが、リヒテル自身はそのシステムの外にいた人である。22歳、つまり日本なら音大を卒業する年齢になってはじめてモスクワ音楽院の名伯楽ネイガウスの門を叩いた。

予備校ですら学んでいないのに、いきなり最高峰を志望する青年にネイガウスも困惑したが、演奏を聴くにつれ「恐るべき浸透作用」に魅了されてしまい、弟子入りを許した。残された映像で見る限り、決して合理的な弾き方ではない。ネイガウスから教えられたというが、巨体なのに椅子が極端に高く、盛り上がった肩を窮屈そうにすぼめ、腕が開かないぶんお尻ごと移動させて弾いている。

全体主義的な教育システムの目的のひとつは、どんな状況においても一定のレベルを保つことにある。 ルーマニアの10点満点娘、ナディア・コマネチは、どんな過酷な条件でもノーミスの演技ができるように、肉体面も心理面も徹底的に鍛えられた。

しかし、リヒテルはそんな訓練は受けていない。ステージごとにむらがある。コンスタントな演奏活動にも向かなくて、ときどきブランクがあく。しかし、ツボにはまったときの凄演は語り種になっている。ハンガリーのピアニスト、ゾルタン・コチシュも、「リヒテルは演奏が不安定で、ときにひどくぎごちないときがあったが、集中力が完全に達したときは、他の誰にもできないすさまじい演奏をした」 と語っている。

いつも平均レベルの安定した演奏を聴かせてほしいか、ときどきでよいから空前絶後の演奏を聴きたいか。そもそも芸術とは後者に属するものではないかと思うのだ。

リヒテルが唯一無二な理由は、彼がピアニストになるための修行をしなかったことにあると思う。父親はオルガニストだが、基礎的な訓練をほどこそうとしても、息子に拒否されてしまった。「チェルニーなんか弾いたこともない」とリヒテルは言う。いきなりショパンやベートーヴェンのむずかしい曲を弾き、ワーグナーやヴェルディ、プッチー二のオペラのピアノ用編曲も片っ端から弾いた。趣味が高じて劇場で雇われるようになり、オペラやバレエの伴奏の仕事で多くの舞台を知った。

総合芸術を知りつくしたピアノを超越する演奏

1958年にソフィアでおこなわれたリサイタルでのムソルグスキー 『展覧会の絵』の凄演は、彼のそんな出自と無縁ではあるまい。リヒテルは、ピアノではなく、想像上のオーケストラを弾いているのである。ここはホルン、ここはトランペット、ここは弦楽アンサンブル、ここからはトゥッティ……。そしてまた彼は、想像上のオペラを弾いているのである。歌手たちの歌声、舞台上の演技や所作、 合唱、バレエ。そして何よりも彼は、すべてを統括する指揮者の役割を果たしているのである。

総合芸術を知りつくしたリヒテルが、そのファンタジーをいかんなく発揮させ、ピアノという白黒の世界を極彩色に塗り替えてみせる。ポツポツ切れるピアノの音からのびやかな歌声を引き出してみせる。平面的な二段譜を立体的な舞台芸術に変換させてみせる。

ピアノを超越したピアニスト、それがリヒテルだ。

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