【対談】「日本人がショパン・コンクールで優勝できない理由」(中央公論 2011年2月号)

小山実稚恵(ピアニスト)×青柳いづみこ(ピアニスト・文筆家)

2010年10月、ポーランド・ワルシャワで第16回ショパン国際ピアノコンクールが開かれた。
ショパン生誕200年という節目のコンクールで優勝したのはロシアのユリアンナ・アヴデーエヴァ。
一方、日本人の出場者は第二次予選で全員が姿を消すという事態となった。これは1975年以来のことである。

1985年の第11回コンクールで第4位に入賞し、今回審査員を務めた小山実稚恵さんと、日本ショパン協会理事を務める青柳いづみこさんが語りあった。

★長丁場の審査

青柳 審査員お疲れさまでした。

小山 約三週間の審査は事前に聞いていたスケジュールよりかなり詰まっていて、最初は戸惑いました。例えば第一次予選では、1人3分の演奏で、4人演奏を聴いて30分の休憩、そしてまた四人が演奏後に2時半から昼休み。再び夕方五時からまた8人の演奏、という具合です。予選では、途中二日間の休み以外、毎日朝の10時から夜の9時半まで(休憩含む)、1日に約8時間ショパンを聴きつづけました。

青柳 本当に長丁場ですね! 責任があるし集中力を保つのも大変でしたでしょう。

小山 そうですね、逆に、頭が冴えてしまうと言えばいいでしょうか、普段と違って聞えすぎてしまった感じでした。

青柳 確かに緊張する場ですよね。

小山 ホールの椅子に同じ姿勢で座りつづけるのも大変でした。普段、ピアノの前には何時間も座っていますが、デスクワークではないので、お尻に重心を置いているわけではありません。かなりピアノの上にも重心を乗せますから。審査のときは背もたれや肘掛けにもたれたりして、力を逃がして。

青柳 クッションを持っていくとよかったのかもしれませんね。ドーナツ型のクッショとか。腰が痛くなりませんでしたか。

小山 そうならないように、昨日は右側、今日は後ろ側……と、もたれる方向を変えたり(笑)。青柳さんは執筆の仕事もしていらっしゃるから、きっとこういう座り方にも慣れているではと想像しますが、私は滅多に机に向かって座ることがないので、椅子の使い方が難しかったですね。だんだん慣れていきましたが。審査員のなかには高齢の人もいて、血流が悪くならないようにと、足もとに台を置いたりしていました。

青柳 会場の「ワルシャワ・フィルハーモニー」は音がよく響くホールなんですか。

小山 ショパン生誕200年の記念年に向けて、2年ほど前に改修工事が行われたそうです。私たち審査員が聴いていたのは二階最前列の席で、音が響くには響くのですが、一階の聞こえ方とは少し違っていたかもしれません。直接の音の伝わり方という点で。

青柳 それはかなり違うはずです。

小山 普通は二階のほうがよく聞こえるのですが、ある演奏者のときに私たち審査員の印象では音量が足りないと思っていたのに、一階で聴いた人が少し違った感想を話されたことがありました。

青柳 同時に二ヵ所では聴けないわけですから。いくら一階で鳴っていても、結局は二階の審査員席によい音を届けられた人がいいということになるのは仕方がありませんね。
ところで、これだけショパンを集中的に聴くと、新たな発見もあったのではないですか。

小山 私が座っていたのはとてもよい席で、演奏者の手が見えるのですね。
指をどう使っているとか。

青柳 われわれピアニストにとっては手が見えるのはいいですね。

小山 そう、私も手の見える席が大好き。自分にない感覚にも出会いましたし、自分が思ってもいなかったような解釈もありました。どういう思いからこういう手の使い方をしているのか、ああいうふうにするとこのような音が出るのか、とか。間の取り方もそうでした。

青柳 コンクールの模様は私もインターネットを通じて見ましたが、曲の作り方など皆工夫していて、なかなかおもしろかったですね。

小山 同じ曲を多種多様なピアニストで連続して聴きましたから、大変貴重な経験を得られました。

青柳 結果とは別に、印象に残った演奏者はいましたか。

小山 個人的には、ルーカス・ゲニューシャス(ロシア)のステージはまた聴きたいですね。巨大建築のような雰囲気、モンスターのような恐るべき何かを秘めていると言えばいいでしょうか、未来を感じる演奏でした。ショパン以外を弾くとどうなるんだろうという楽しみがあります。

青柳 ゲニューシャスは、高名なピアノ教師ゴルノスターエヴァの孫で、オーストリアのヴンダーと同位で第二位に入った人ですね。コンクールというよりは演奏会のようでしたね。ショパンがここまで哲学的に考察されるのかと感心しました。超絶技巧をひけらかすということもないですし、いろいろと発見のある演奏でした。

小山 とにかくロシア人が凄かった。本選出場者10人のうち、半分の5人がロシア人でした。第三位になったダニイル・トリフォノブは夢のような音色を持っていましたし。あとはニコライ・ホジャイノブ。彼は残念なことに入賞はできなかったのですが、第一次予選のときの練習曲作品10-1や2。それから幻想曲もすばらしくて、私は生涯忘れられません。

★ワルシャワ ―1985年と2010年-

青柳 1985年はコンクールを受けるお立場だったわけですが、そのときと今回とで何か変わったことはありましたか。

小山 まずポーランドという国そのものが大きく変わりましたね。1985年当時は東側で、まだ自由な国ではありませんでした。物資ひとつとっても、あるものは配給制でしたし、私たち外国人が買い物をするにも、一般のお店ではチケットがなければ買うことのできないものが多くありました。

青柳 1960年の第六回コンクールに日本ショパン協会会長の小林仁さんが参加したときには、ホテルに何も食べるものがなくて、パン一枚を手に入れるために朝から晩まで並んだそうです。1985年にはそういうことはなかったとは思いますが。

小山 そこまでではありませんでしたが、豊かというのには程遠い感じでした。例えばお菓子を買おうと思うと、ホテル内のお店や外国人専用の免税店はありますが、街中には私たちが買えるようなお店はほとんどないというような。普通のパウンドケーキ、それも一切れだけなのに、日本円で100円ぐらいと決して安くない。そんなお店にポーランドの人も外国人も押し寄せていました。お菓子に限らず、あまりお店が多くなかったように思います。

青柳 そのころ共産圏の国はだいたいそうですよね。

小山 今は豊かになりましたから、物資の面で不自由を感じることはまったくありません。今回私は食べませんでしたがお寿司のお店もたくさんありました。今はクラコフに寿司職人養成学校まであるそうです。(笑)

青柳 当時、練習用のピアノはいかがでしたか。グランドピアノを使えましたか。

小山 ワルシャワ音楽院のピアノを使わせてもらったのですが、楽器はよくなかったですね。グランドピアノでしたが、弦が切れていたり蓋がなかったりして。

青柳 かつてモスクワ音楽院には、窓ガラスのない部屋があったという話を聞いたことがあります。あんなに寒いのに。(笑)

小山 今回、久しぶりにワルシャワ音楽院に足を運びました。玄関のたたずまいや室内の様子は同じですが、明るく自由な雰囲気になっていました。今は楽器もよくなっているはずです。

★コンクールの仕組み

青柳 コンクールのシステムは1985年当時と変わっていないのですか。

小山 今回、書類・ビデオ審査と予備予選を経てコンクールに出場できたのは81名(最終的な参加者は78名)。第三次予選まであって、本選でショパンの協奏曲を弾くのは以前と同じです。ただ、今回は本選出場者が10人ですが、1985年のときは6人でした。第六位までが「入賞」ですから、当時は本選に出場した全員が入賞になりました。

青柳 今回は本選に進出しただけでは入賞にならなかったわけですね。2007年チャイコフスキー・コンクールで一位なしの第二位に入賞したミロスラフ・クルティシェフ(ロシア)も本選どまりだったのですから、きびしいですね。採点はどのような方式でしたか?

小山 第一次から第三次までの予選では、得点と、次のステージに進ませたいかという質問に対する「YES/NO」の回答と、二通りつけます。

青柳 「YES/NO」というのは、例えば第一次予選であれば「第二次予選に進んでほしいですか」ということですね。一二人の審査員がそれぞれ「YES」を40人につけ、「YES」が何票入ったかで決まると。

小山 この「YES/NO」システムは、もしかすると日本人出場者が第三次予選に進めなかったひとつの理由ではないかと思います。

青柳 日本は1980年以来、毎回入賞者を出していましたが、1970年の内田光子さんの第二位が最高。今回は国別で最多の17人が予備予選を通過したのに、第二次予選までで全員が敗退してしまい、ピアノ関係者は大ショックでした。

小山 一次はよかったのですが、二次で40人から20人を選ぶときに、「YES」というのは好き嫌いはともかく特徴のはっきりした人が多くなるわけですから。

青柳 そうですね、解釈面でも技術面でも個性的な。

小山 おそらく、日本人は「NO」ではないのだけれども「YES」で推してもらうことにはならなくて……。得点の平均で決まるのであれば、もう少し入っていたのではないかと思います。

青柳 やはり積極的に「YES」と言わせるようなプレゼンテーションをしないほうにも問題がありますね。日本の教育はここがダメ、あそこがダメと引き算になりますから、それが根底にあるのかもしれません。

小山 「YES」が何票かで決まりますから、おそらく「NO」と言う人も多いだろうけれども「YES」と言っている人も多い、という場合のほうがよい結果になりました。

青柳 それでは、採点した点数は直接には……。

小山 反映されないのです。「YES」の票数が同じで審査がもめたときだけ、得点の平均が考慮の対象になりました。最高点と最低点を除外して得点の平均で決めたほうがよかったのかもしれませんが、そうした場合、中庸な人ばかりが通ってしまうこともあるのでしょう。

青柳 個性の強い人が損をするかもしれないですね。

小山 得点だと70点と73点でぶれる可能性がありますが、「YES」と「NO」で評価が揺れるのは考えにくいということもありますね。ですから、点のつけ方というのは永遠の課題かもしれません。

★意外に「ゆるい」コンクール?

青柳 審査は別の意味でも大変だったのではないですか。ある雑誌のインタビューで読んだのですが、第一次予選では、名簿と演奏順が一致していない採点表に約80人分の点数をつけなければならなかったそうですね。

小山 そう、そこは大変でした。審査員のなかにも混乱する人がいましたし、集計のコンピュータもフリーズしたり。(笑)

青柳 そのあたりはまだ近代化されていないのですね。

小山 それに、得点は100点満点でつけるのです。

青柳 えっ、100点満点ですか? それは珍しいですね。普通の国際コンクールは25点満点ではないでしょうか。100点満点は細かすぎてつけにくいですね。

小山 ですから、規定としては75点以上が「YES」なんですが、74点と75点はどう違うかと言うと……。そこで、本選の前になって、第一次予選からの得点を機械的に足すのではなく、それまでの印象も含めて総合的に、自由につけましょう、ということになったのです。

青柳 突然審査基準が変わった。(笑)

小山 基準そのものが変わったわけではありませんが、一位が10点などポイント制で高いほうがよい順位だろうと思っていたら、一位は一と順位でつけることになって。

青柳 そこはまた混乱しますね。ところで、事前に提出した曲目は変えてもいいのですか。インターネットで見ていたら、テロップには「練習曲作品25-11」(「木枯らし」)と出ていたのに「革命」を弾だした演奏者がいました。

小山 審査員の誰かは「本人の申告は合っていたけれど、プログラム表示が間違っていた」と言っていましたが、違う曲を弾いても、審査員のあいだではほとんど話題にものぼりませんでした。他の演奏者でも曲目が違っていることがありました。

青柳 そういうところは案外「ゆるい」のですね。

小山 本選でも不思議なことがありました。ショパンの楽譜についてはパデレフスキ版、エキエル版、ブライトコプフ版などいろいろありますが、本選の協奏曲で三人の演奏者がエキエル版を使っていたのに、オーケストラは別の版を使っていたんですよ! 明らかにユニゾンが合わないところは直してありますが、全てのパートを直しているわけではなくて……。

青柳 どこまで「ゆるい」コンクールなんだ!(笑)

小山 私もこんなことが本当にあるのかと思ったのですが。

青柳 事前にどの楽譜を使うか、本選出場者に訊いて、何パターンも練習してほしいですね。

小山 オーケストラ合わせの時間が一日しかありませんから、忙しかったのかもしれませんが(笑)。オーケストラの人たちもどう思っていたのでしょうねぇ。

青柳 ワルシャワ・フィルはショパンの協奏曲をよく演奏しているでしょうから、どの版でも対応できるのではないかとも思いますね。

★審査員室の雰囲気

青柳 審査員室の雰囲気はいかがでしたか。審査員の間で作品や楽譜について活発な議論が展開されたと聞きましたが。

小山 休憩や食事のときですね。審査員全員で一緒に食事をするというわけでもないのですが、同じ場所で、だいたい同じ席に着いて食べるようになれば、自ずと……。

青柳 とにかくすごい顔ぶれですよね。マルタ・アルゲリッチ、ネルソン・フレイレ、フー・ツォン、ダン・タイ・ソン……。世界の超一流のピアニストぞろいですから、楽譜をどう読むか、皆一家言持っているわけですよね。その自説が出てくる。

小山 楽譜のことだけでなく、自分の音楽観も強く肯定する。音楽家はよくも悪くも感情が豊かというか、情の深い人間が多いんでしょうか(笑)。審査員は皆、あの激しい気性ですから、何者にも抑えることはできない感じでしたね(笑)。私も時にハッキリ強く意見を言うことはありますが、それでも他の人に比べると、激しさの種類がまったく違っていました。人格そのものですから、そこはもう誰にも止められません。(笑)

青柳 曲や楽譜に対する思い入れが凄いですよね。受ける側の人たちも、そういう確固たるものがなければ、アピールできませんね。先生に教わったとおりに弾いているだけでは弱く思われてしまいます。

★日本人の敗退

青柳 今回のコンクールは5人が本選に進んだロシアをはじめ東欧勢の強さが目立ちましたね。先ほども話題になりましたが、日本人は第二次予選の段階で全員敗退してしまいました。積極的に「YES」と言わせる演奏ができなかったとはいえ、日本人も昔と比べればプレゼンテーションができるようになりましたし、カチンコチンの演奏ではなく自由に弾けるようにもなったと思います。けれども、一応は情感を漂わせて弾いているのですが、どこか子どもっぽい印象が拭えませんでした。

小山 それから入賞者の人たちと比べると、残念ながらタッチが浅い印象がありました。

青柳 確かにそうですね。インターネットでは演奏の模様が間近で見られます。器用に弾いているのですが、鍵盤の表面をなでているだけのように感じられる出場者もいました。

小山 音量が小さいわけではないのですが、密度や質感が……。音で伝える力は、感性とテクニックの両方の裏づけが必要です。つまり、この音を出したいと思うことと、指の訓練と、両方が必要です。それに、流れが止まりがちと言えばよいでしょうか、非常に丁寧なのだけれども音が次に進まない、フレーズの最後が収まりすぎている感じがします。

青柳 お茶を飲んでほっとしてしまうような感じですね。(笑)

小山 第一次予選のように短いステージはよいのですが、二次、三次のように一時間の演奏を聴かせるには、ある種の推進力が欠かせません。もちろん丁寧である必要はあって、荒っぽい演奏だったら耳障りなんですが。ショパンの曲は構成自体がドラマティックというわけではありませんから、余計に停滞してしまうのですね。

青柳 とくにソナタなどは、演奏者が自分である程度引っ張って形を作っていかなければなりません。ですから私も、最初はよく弾いているなと感心しながら聴いているのですが、そのうちにだんだん飽きてきてしまう(笑)。曲の性格によって弾きわける工夫をしていないので、どれも同じに聞こえてしまうのですね。

小山 もうひとつ。これは演奏とは別なのですが、日本人の選曲、プログラムがとても似ていた印象がありました。例えばマズルカならこの曲というように、コンクールの規定で曲目がある程度決められている上に、自分の個性にあった曲ではなく名曲を選んでしまいがちです。よい曲は確かにすばらしく弾ければよいのですが、どの演奏者もその曲に注力してきますから。

青柳 当然、比べられてしまいます。どんなに一生懸命「スケルツォ第四番を弾いても、第1次予選のアヴデーエヴァの演奏を聴いてしまったあとでは……というところがありますね。日本人でも、大きくフレーズを取って、好評を得たピアニストが何人かいたようですね。

小山 そうですね、フレーズを大きく取っていただけでなく、オープンマインドな印象を受けました。ただ、日本人のなかではそのように特徴を出した人たちが評価されたのですが、外国人になるとやりすぎてしまったからでしょうか、きちっと弾いた人のほうが逆に評価されていました。

青柳 確かに、あまりにテンポを揺らしたり歌いすぎたりした演奏はうまくいかなかったようですね。

小山 特徴を出しすぎても、ということかもしれません。日本人と外国人で逆の評価になったのは不思議な現象でした。私も日本人の感性で聴いているところがありますから、審査員全員がそう聴いたのかはわかりませんが。

青柳 それはちもしろいですね。昔はコンクールというと「ミスなく正確に」弾くことが要求されたものですが、今回は勢いに任せて弾き、守りに入っていない人も多かったように思います。今は誰もが速く弾けますから、昔のように、人より速く弾けばいいという人もいませんでした。むしろ、練習曲などではテンポを抑え、解釈を工夫している人も多かったですね。

小山 それでも「速い、速い」と言っている審査員は多かったのですが。皆がうまくなっているので、もはや今の時代は練習曲をすばらしく弾くのが普通のことなのですね。

青柳 結局は夜想曲のような技術的には必ずしも難しくない曲で差がつく。(笑)

★コンクールの役割とは

小山 私はコンクールというのは、まだ完全に自分のスタイルができあがっていなくても、この場に全力を投入したいという強い気持ちを持っている人が出るものだと思っていました。

青柳 確かに、今回のコンクールではアヴデーエヴァが優勝しましたが、入賞した六人は大きな国際コンクールの入賞者も多く、よくも悪くも半プロの集団という印象でした。誰が優勝してもおかしくないような力量を持っていて、それぞれ個性もあるのですが、ポリーニやアルゲリッチ、ミケランジェリのような、何年かに一度の天才かというと……。

小山 第一次予選で最初に聴いたときには、こんな凄い演奏をして驚かされるのです。けれども二回目、三回目と聴くと、この人はもうできあがっている、つまりこれから頂点を迎えるのではなく、もしかしたら今の段階で頂点に近いのかもしれない、と感じてしまいます。それならコンクールに出るのではなくプロとして活動したほうがよいのではないか、ショパン・コンクールという、いかに世界トップのコンクールであっても、はたしてこれでよいのだろうか、と考えさせられました。ただ、コンクールという場で完成されたものと未完成のものがあったときに……。

青柳 完成度からすれば落とすわけにはいかないですね。作品をよく勉強しているし、演奏は練れているし、場数も踏んでいる。

小山 客観的に自分を見る目すら持っていて、すでに見せ方も知っているんですね。ただ、コンクールとしてはそれでよいのかと。

青柳 実はショパン・コンクールでさえ、国際的に活躍していて、年齢的にもまだ応募できる日本人ピアニストが受けていません。この人たちにはもうコンクールの肩書きは要らないのでしょうね、きっと。

小山 コンクールの意義を考え直す時代に来ているのかもしれないですね。

青柳 コンクールの優勝をきっかけに注目されるのはよいのですが、人気だけが先行してしまうのはとても危険ですね。ピアニストは客席の雰囲気も感じとって演奏していくものです。その人の演奏やその人のことがわかって、曲もある程度知っていて、一緒に応援しながら作っていく、というお客さんがついてくれるのが望ましいですね。

小山 コンクールは一時のものですが、演奏活動は始めたらずっと続くわけですから。原石の発掘–私は、コンクールの原点はそこにあるのではないかと思います。

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