【連載】「青柳いづみこの指先でおしゃべり 第10回 杉本秀太郎さんの思い出」(ぶらあぼ 2015年7月号)

5月28日、若者たちが連日熱演をくりひろげている「ショパン・フェスティバル2015in表参道」の会場をそっと抜けて新幹線に乗り、京都に赴いた。フランス文学者の杉本秀太郎(ひでたろう)先生の通夜・告別式に出席するためである。

杉本先生は日本芸術院会員。東西の文芸に精通し、『平家物語』『洛中生息』など高雅なエッセイの書き手として知られた。西洋音楽にも造詣が深く、ドビュッシー評論集『音楽のために』(白水社)のような訳書もある。

四条烏丸近くにある先生のお宅は、京町家「杉本家住宅」として国の重要文化財に指定されている。お式もそこで執り行われた。

最後にここを訪れたのは、フランスのヴァイオリニスト、クリストフ・ジョヴァニネッティとの関西ツアーの折だった。本格的な日本家屋が見たいという彼を、杉本家に案内した。運良く先生もいらして、応接間に置かれた古いアップライトでデュオを聴いていただいたりした。それからお庭の見える和室に移り、暗くなるまでフランス語で語り合った。

杉本先生との出会いは1991年に遡る。モーツァルト没後200年記念リサイタル『昼と夜のモーツァルト』をお茶の水のカザルスホールで開いたときのこと。先生はわざわざ京都から聴きにきてくださったのだが、とてもシャイで、ご自身が翻訳された『ペレアスとメリザンド』の単行本を受付に置いて帰ってしまわれた。

その後何度かそんなことがくり返されたので、何かにかこつけてお会いしようと、ピアノ雑誌『ショパン』での対談シリーズ「ピアノコンチェルトーク」にご出演をお願いした。これが97年のこと。私にとってはドビュッシーの評伝を上梓し、記念リサイタルを開いた大切な年だった。

これまたわざわざ東京に出てきてくださった杉本先生、ベーゼンドルファーのショールームで、お話に花が咲いた。

先生はピアノが大好きで、ご自分でもショパンのノクターンやプレリュードをお弾きになる。原稿の締め切りが迫っていても「弾きだしたら面白うてやめられん(笑)。音楽で言葉を追いだす」という表現が面白い。

ピアノとの出会いを伺ったところ、父方のお祖父さまがモダンな方で、大正時代のはじめにアップライトのピアノを買い、お父さまが弾いていらしたそうだ。

先生もピアノを習いたかったのだが、ちょうど戦争中だったので我流で弾いていた。大学生になってクロイツァーのお弟子さんに師事したが、長つづきしなかったという。

ここで私が「言うことをきかないお弟子さんだったのではないですか?こう弾きなさいと言われても、いや僕はこう感じる、と反発したりして」と水を向けると、先生が「その通り」と返されたので大笑い。

私は先生のピアノを何とか聴きたいものだと思い、一計を案じて、「これはインペリアルという特別な楽器ですごくいい音がするんですよ、弾いてみたいでしょう?」とそそのかし、ついにモーツァルトの『幻想曲二短調』を弾かせてしまい、バッグにしのばせたレコーダーでこっそり録音したのも、今となってはいい思い出だ。

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