ピアノ弾きとモノ書きを兼ねていると、ときどき滑稽な事態に陥る。
その昔、二期会が上演するドビュッシーのオペラ《ペレアスとメリザンド》のプログラムに執筆したことがある。編集人は、今は二期会21で敏腕マネージャーとして活躍している大門千寿子さん。
1988年というから、私はまだ芸大の博士課程にいて、論文すら提出していなかったころだ。そんな無名の書き手に声をかけてくださった大門さんには感謝の言葉もない。オペラのチケット料金は高額な場合が多く、なかなか聴きに行けないのだが、プログラムの執筆者には招待状が出るので、二重においしい仕事でもある。
このときのメリザンドは佐藤しのぶさん。是非とも観に行きたいところだっだが、まぁ、なんということか、自分のリサイタルと同日同時刻だったのである。しかも、オペラは東京文化会館大ホール、私が弾くのは同小ホール。
解説の冒頭に私はこう記した。「よりによって自分のリサイタルの裏番組(正確には私の方が裏なのだが)のプログラムに文章を書くなんて、なんという因果なことだろう」
今年の秋にも、書く私と弾く私がぶつかってしまった。
2013年に上梓した『神秘のピアニスト』(白水社)でとりあげたアンリ・バルダ。1941年、アルゲリッチと同年生まれのフランスのピアニストだが、アルゲリッチとは正反対に知る人ぞ知る、知らない人は全然知らない、まさに“神秘のピアニスト”。先輩ピアニストの高野耀子が招聘したリサイタルを聴いて魅せられ、決して多いとは言えないコンサートを追って取材をつづけた。
そのバルダの2年ぶりの東京公演は、9月26日浜離宮朝日ホール。私の『1915年のドビュッシーショパンへの想い』は同じ日にHakujuHall。
せめてあちらが夜公演なら聴けるのに、よりによって14時開演のマチネで、見事に重なった。関係者も重なっているから集客を心配したが、運良くHakujuは満席だったし、浜離宮も同様だったとのこと。シルバーウィークも終わり、よほど「音楽会に行きたくなる日」だったに違いない。
自分が評伝を書いたピアニストのコンサートが聴けないのは悔しいので、翌日の横浜公演に出かけて行った。上大岡のひまわりの郷ホール。プログラムは前半がブラームスで作品117のインテルメッツォと118の6つの小品、2つのラプソディ。後半はラヴェル「夜のガスパール」で開始し、ショパンの即興曲、ワルツやマズルカをメドレーで弾く。
バルダは多重人格かと思うほど作品や作曲家によってスタイルやアプローチが変化する。この日も、重厚で深い思索を感じさせるブラースム晩年の作品、鮮やかな技巧と多彩なイマジネーションで怪奇幻想の世界を描き出すラヴェル、そして軽妙洒脱、ときに哀愁漂うショパンの小品…と、ピアニストが3人いるような自在さだった。
会場には拙書も並べられ、終演後は著者とアーティストが並んでのサイン会となった。バルダがお客さまの名前と献辞を書き、フランス語でサイン。私はその横に日本語で名前を書く。演奏がすばらしかったので、本を書いた私もとても誇らしい時間だった。