この3月に、上海で開かれたフィギュアスケート世界選手権。調整が遅れた羽生結弦選手は優勝を逃したが、女子では宮原知子選手がロシア勢の一角を崩して2位にはいる健闘を見せた。
クラシックの演奏家には、フィギュアスケートのファンが多い。我が恩師安川加壽子先生も例外ではなかった。門下の食事会の折り、アイスダンスの伝説の名コンビ、トーヴィル=ディーン組がサラエボ・オリンピックで踊った「ボレロ」を話題にしたところ、先生はすかさず「あれはスポーツではなくて芸術ね」とおっしゃったので一同驚愕した。
音大の学生たちのコメントにもいたく共感する。「先生、フィギュアスケートってピアノそっくりですよね。演技前の最終練習できれいにジャンプ跳んでいても試合で失敗したり、その逆だったり」
身につまされるのは、先生だって同じだ。生徒がコンクールや試験で演奏するとき、難所にさしかかるたびに頑張れ!と心の中でエールを送る。うまく行くと、密かにヤッタ!と拳をにぎる。フィギュアのコーチのように派手なガッツポーズはできないけれど。
上海の世界選手権では、ショートプログラムでカザフスタンのデニス・テン選手の使用曲がうまくかからず、集中を乱されるアクシデントが起き、最終的に3位にとどまった。これもわかりすぎるほどわかる。私たちも、弾き出す前のほんの些細なことでタイミングを狂わされ、失敗することがあるから。
芸術性とスポーツ性のバランスという点も共通している。ショパン・コンクールでは、一次予選の練習曲を2つのグループに分け、スケートで言うなら「レベル4」に当たるものを必ず弾かなければならない仕組みになっている。10分程度の自由曲でも、どんなに音楽的に優れた演奏をしても、技術的な破綻があるとやはり減点される。
ブイギュアの採点には、技術の他にプログラム構成に関する項目もあり、「音楽に合った身のこなし」や「曲の理解」が求められる。解説者もしきりに、この演技は音をよく取っているとか、音楽の流れを感じとって滑っているとか論評を加える。
そこまで音楽を大事にするなら、クラシック関係者としてはモノ申したいことがある。
たとえば羽生結弦くんのショートプログラムの音楽。アナウンスではショパン「バラード第1番」と発表されるのだが、これは、私たちにとっての「バラ1」ではない。イントロからして後半カット、至福の第2主題もカット、サビの部分もカットしていきなりコーダにつないでしまう。なんだか、暗譜を間違えてすっとばしてしまった感じなのだ。
ショートプログラムの演技制限時間は2分50秒で「バラ1」は約9分。普通に流したら大幅に余ってしまうわけだが、私たちがこよなく愛する名曲を切り貼りされたくない。
アイスダンスで優勝したフランスのペア。フリーの楽曲はモーツァルト「ピアノ協奏曲第24番」の第2楽章。哀愁を帯びた曲調に合せてしっとりした演技が展開されるのだが、うっとり見ていると突然曲がすげかわり、激しい動作に合せて激しい音楽が流れる。
いくらなんでもあんまりだ、と思ってしまってはいけないのだろうか。
作品を大切にする、作曲家の意図を尊重する…。我々にとっては当たり前のことなのだけれど。