海外ツアーをやめると表明したスペイン生まれの名ピアニスト、アリシア・デ・ラローチャが、日本各地で「さよならコンサート」を行っている。11日に愛知県の豊田市コンサートホールであった演奏会を、ピアニストの青柳いづみこさんに評してもらう。
ショパンの『ノクターン作品32-1』。出だしの音が鳴ったとたん、涙がじわっと出てきた。ゆっくりステージを歩き、いすに背筋を のばして座り、ふっと弾きはじめた嬰ニ音があまりに美しかったからだ。
旋律の微妙な揺れ、フレーズの間。およそ感傷的な音楽をやる人ではないんだが、それでもやっぱりたまらなかった。
ラローチャのショパンを聴いていると、声部の動きが手にとるようにわかる。響きにも工夫を凝らす。たとえば『子守唄』で、右手が繊細なすかし模様を描いている間に、左手は伴奏の一部を強調して響かせたりする。それも恣意的ではなく、いかにも耳が要求しました、といった風に。
少し不満だったのは、『幻想ポロネーズ』。病魔に侵された作曲家の、抑えがたい生への未練が、生々しい官能の形をとってあらわれる作品だが、彼女には、そうした執着はないように見え た。『舟歌』など、既に彼岸に渡ってしまっているのではないかと思ったほど。
指の間の拡張に腐心した手も、加齢とともに開きにくくなっているに違いない。それでも大崩れしないのは、並みはずれた背筋の支えがあるからだ。ひじをはねあげるような動きで難所を処 理する。彼女の存在は、世界中の手の小さなピアニストに勇気を与えた。
後半のアルベニスになって、ラローチャの体に血が通いはじめ、どくどくと脈打つのがわかるような気がした。内側からしぼり出す『エヴォカシオン』の歌。『エル・プエルト』の切れよさ。『アルメリア』では、オクターヴで弾かれる旋律もしっとりと露を含み、リズムは賑やかにはずみ、オーケストラ的な効果を楽しんだ。
アルトゥール・ルービンシュタインに献呈されたファリャ『ベティカ幻想曲』は、華麗な技巧をちりばめた難曲。多少安全運転的なところはあったものの、最後まで乱れを見せなかったのはさすが。
ラローチャは、知的な解釈家、響きの魔術師であるとともに、すぐれた「身体芸術家」でもある。フラメンコの踊り手が、足を踏みならし、カスタネットを連打しながら気分を高揚させていくように、『ベティカ』でのラローチャは、すばやい跳躍、左右の激しい交替、目にもとまらぬアルペジオを弾くうちに、すっかり細胞が活性化されてしまった感じだった。
アンコールで絶品 だったのは、グラナドス 『十二のスペイン舞曲』の「アンダルーサ」。 ラローチャが、「陽気で悲しく、外向的で内向的」なスペイン音楽と言う通り、ときにほの暗く、ノ スタルジーに満ちて、また底抜けに明るく、茶目っ気たっぷりに、と自在に変化する。同じ組曲の「ホタ」では、手の交叉がぴたっとはま り、和音の連鎖で客席を渦に巻き込んだ。
最後のカーテンコール、じゃぁね!と片手をあげる仕種が、いかにもラローチャらしかった。