7月×日 取材でパリに行ったら、御馳走つづきですっかり肥ってしまった。帰国後、朝晩200回腹筋をしているが、ウェストが元に戻らない。
不思議なもので、いつもより肥っていると、とても不幸になる。反対に、朝起きて普段はきついスカートがはまったりすると、それだけでルンルン気分。別に、誰に見せるわけでもないのだが。
そんな私の目に、ヴァルトラウト・ポッシュ著『なぜそんなに痩せたいの?─「美人」になりたい女の社会心理学』(渡辺一男訳 TBSブリタニカ 2200円)がとびこんできた。美人が括弧つきなのは、痩せている人が必ずしも美しいとは限らないが、ダイエットにはげむ人はそう信じ込んでいるからだろう。
美人の概念そのものが相対的・流動的なのだ。ぽっちゃり型やずん胴型が好まれた時代もある。現代でも、女性が理想とするプロポーションと、男性が好ましいと感じるそれには、かなり差があるような気がする。
著者の怒りは、女性誌に向けられる。女性のボディはつねに惨めで、修復が必要とされてきた。キャリア、仕事と家庭の両立、恋愛問題の記事では読者を勇気づけているのに、ボティのことになると急に否定的な言葉が並ぶのはおかしい。
「私たちは何よりもまず最初に、現実の自分とは違うように見せたいという強迫観念から自分自身を開放しなければならない」と主張する著者は、女性の迷いを次々に打ち砕く。クラウディア・シファーの顔とデミ・ムーアのボディで街を歩いても、それはもうあなたとはいえないだろう。他者によって規定された美の観念にまどわされるのはやめよう、もっと自分の外見に健全な誇りを持とうではないか──。
本当にその通りだと思うのだが、いつもより太いウェストを抱えた私の不快感はちっともなくならない。