【書評】金原ひとみ 著「蛇にピアス」(サンデー毎日 2004年2月29日号)

最近、若い作家の小説が、どんどん遠くなる感じがしていた。トシのせいかとも思ったが、「蛇ピ」はぴたっときた。なぜだろう。

理由は二つ、三つかな、ある。ひとつは、文章がきれいだということ。流れとリズムがいいのと、その場にすっとすべり込む表現、豊かな喚起力を持つ言葉が心地よい。

「アマはそう言って、だらしなく笑った。どこがだらしないのか分からないけど、アマは笑うとだらしない顔になる。口を開けると下唇のピアスの刺さった部分がダラッと下がるからかもしれない」

ここを読んで私は、ダリの時計の絵を思い浮かべた。

もうひとつの理由は、私がクラシックのピアノ弾きだということ。我々なんて、毎日身体改造に励んでいる。専用のボードで指の間を拡張するとか、指がばらばらに動くような特殊な訓練をするとか。

それで、だんだんそのこと自体が目的になり、ピアノが上手になるかどうか、なんてことはどうでもよくなる。でも、だから生きてられるんです、私たちって。何ミリかでも指の間が広がると、それだけで前向きな気分になれる。

三つめは、著者と同じ年ごろの娘がいること。彼女が中学生ぐらいのころ、他人を識別する基準がピアスだった。ピアスをしているか、どこに何個しているか、で線引きする。この小説を読みながら、吉川ひなのは舌ピをしていたな、とか、高部知子は性器のピアスをすぐにはずしてしまったな、とか考えていた。

主人公のルイも線引きする。ピアスのゲージについて淡々と説明しながら、00Gを超えると、はっきり言ってどこかの民族みたいで、かっこいいとか悪いとかの話ではなくなる、というところが面白い。

それでいて、恋人のアマは左眉と下唇に三本ずつ刺していて、まさにどこかの民族モード。舌の先端は蛇みたいに分かれ、それはピアスのゲージを徐々に上げて穴を拡げていくことによって得られるのだ。スプリットタン(蛇舌)に魅せられたルイは、自分もしてみたいと思う。

変態向けの店で穴をあけ、Mのオーラが出ているルイを見て「Sの血」が騒いだ店長に刺青を彫ってもらったり、アマが暴力団員を殴ったり、いろいろあるうちに舌ピは大台の0Gまで来たが、そのとたん、アマは消えてしまう。すると、突然拡張する気が起きなくなる。「褒めてくれる人もいない今、私の舌ピは意味を持たないのだろうか」

ちょうど、先生のためにピアノを弾く人(たくさんいる)や先生が死んだらピアノが弾けなくなった人(これもたくさんいる)のように。

最後は、ハードボイルド調のミステリー仕立て。ページが残り少なくなったあたりでえっ!あっ、そうか。という気分になる。そのあともう一度ん??となるけれど。

この書評を依頼されたあとで芥川賞受賞が決まった。当然、いろいろなところで論評を見かける。若い世代の心情をうまく表している、というものが一番多かった。

でも、ギャルもお母さんもおばさんもおばあさんも、目の前の一秒一秒をやりすごすために何かにぶらさがっている。ブランド狂いでもダイエットでもお受験でも家庭菜園でもお墓の心配でも。それを「生き甲斐」と呼べる時代はとうの昔にすぎた。この小説は、そんな状況をピアスに象徴させているだけだ。ちょーいたそー、ですませずに、普遍的に読まれんことを。

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