【書評】『キンノヒマワリ ピアニスト中村紘子の記憶』(産経新聞2018年4月1日朝刊)

キンノヒマワリ ピアニスト中村紘子の記憶

高坂はる香・著(集英社 1700円+税)

評・青柳いづみこ

中村紘子を初めて聴いたのは、音楽評論家、野村光一の自宅だった。目の前で聴くチャイコフスキー『ピアノ協奏曲第1番』は、小学生の耳にも衝撃として刻まれた。

本書は、2016年7月26日、72歳で亡くなった中村の初の本格的評伝である。

桐朋学園「子供のための音楽教室」1期生として英才教育を受け、アメリカの名門、ジュリアード音楽院に留学し、1965年、ピアノのオリンピックであるショパン・コンクールで第4位に入賞。

華々しい経歴だが、多くの葛藤と挫折があった、と著書は書く。最たるものは日本でたたきこまれた「ハイフィンガー奏法」だった。「響きがポツポツと固く」なるため、アメリカでの師から全面的な矯正を求められたという。

日本に定住する決心をした中村は、高度成長期のピアノ・ブームに乗り、生来の美貌と華麗な演奏スタイルから大衆的人気を博した。80年代にはカレーのコマーシャルに起用される。このことがまた、「玄人筋」たる「楽壇」の反発を招くことになる。

ショパン、チャイコフスキーなど国際コンクールの審査員を務めた中村は、97年に浜松国際ピアノコンクールの審査委員長に就任する。目的を「若い才能の発掘」に定め、まれにみる炯眼で優秀な若手を送り出した。しかし2009年、「コンクール界の潮流や、背後に控える組織をめぐる複雑な状況がからみあって」不本意な退任を迫られる。

著者も指摘するように、社交能力の高さと政財界も含む人脈の豊かさでクラシック界の地位向上に不可欠な存在だったにもかかわらず、なぜかいつも「楽壇」の壁があった。

全体に対象へのリスペクトが清々しい印象を与える。関係者への聞き取りから中村の魅力が活き活きと浮かび上がってくる。一方で、ショパン・コンクールに上位入賞しながら国際的キャリアを断念した理由や、「奏法」との戦いなど、中村本人のコメントに終止している感があり、客観的な裏付けがほしい。彼女の存在が招いた「反発」の実態も含めて、もう少し踏み込んでもよかったかもしれない。

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