拙書『ショパン・コンクール最高峰の舞台を読み解く』(中公新書)を執筆するにあたり、中村紘子さんにぜひお話をうかがいたいと思いつつ、ご病気の報に躊躇しているうちに計報が届けられた。
中村さんには『チャイコフスキー・コンクール』という名著があるが、4位入賞されたショパン・コンクールについてはあまり多くを語っていない。
エッセイ集『アルゼンチンまでもぐりたい』(中公文庫)では、15歳で日本音楽コンクールに優勝し、N響初の海外公演のソリストに抜擢されたあと、ジュリアード音楽院に留学したところ、レヴィン教授に基礎から直すように言われてショックを受け、「壁を見つめて一日ポーッと」していたというエピソードが語られる。「その後すぐにショパン・コンクールに出るのですが、今審査員としての立場も含めて考えると、もうメチャクチャな出場の仕方ですね」。
中村さんは、この時の経験をふまえ、若いうちに世界で通用する奏法を身につけられるよう、96年に浜松国際ピアノアカデミーを創設する等、教育活動に情熱を注いだ。身体のメンテナンスにも気を配り、デビュー50周年では全国で80以上も公演をこなした。円熟の境地に達した中村さんの演奏をもう聴くことが出来ないと思うと残念でならない。
謹んでご冥福をお祈りします。